太鼓走楽論
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鬼太鼓座の活動の根源にあるのが、「走ることと音楽とは一体であり、それは人生のドラマとエネルギーの反映だ」という鬼太鼓座独自の「走楽論」。現在でも鬼太鼓座は合宿所にて徹底した走り込みを行う。 1971年-1979年の実績は現在の鼓童メンバーに由来するが、田耕の「走楽論」を現在もそのままの形で引き継いでいるのは、第二期以降の鬼太鼓座である。 1975年にはアメリカ公演にあわせてボストンマラソンに団員15名が出場する。これは旅行会社が企画したボストンマラソンツアーに参加してのものだった。このとき参加した山本春枝と鈴木春美は、最初の「公認フルマラソンを完走した日本人女性」である(米国籍を取得後であったゴーマン美智子は除く)。これ以後、世界を舞台とした本格的な鬼太鼓座公演が、各国の檜舞台で展開していく。 1979年の別府大分毎日マラソンでは、団員の小幡キヨ子(現姓大井。現在は鼓童のスタッフ)が、同大会に女子として初めて出場し、2時間48分52秒で完走した。これは当時の日本最高記録にあたるものであった。 1981年、田耕が佐渡を離れ組織した「第三期鬼太鼓座」メンバーは、1990年にニューヨークマラソンとカーネギーホール公演を皮切りに14,910kmを走破する前人未到の「全米一周完走公演」を達成。1998年には全長12,500kmの「中国大陸一周完走公演」を行う。2004年に再びボストンマラソンに出場、2005年には「台湾一周マラソンライブツアー」を行う。
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