夫として、父として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:20 UTC 版)
吉村が妻となる原田直江と初めて出会ったのは戦時中の1944年、当時シンガポールに赴任していた吉村が機体のオーバーホールのために雁ノ巣に立ち寄った時のことだった。大日本航空福岡支所で事務員として働いていた原田直江に一目ぼれした吉村は姉、房江の夫である義理の兄に仲を取り持ってもらうなど手を尽くし、1944年6月に結婚する運びとなった。当時、赴任先のシンガポールでは配偶者の帯同が禁止されていたため、直江は台北で1人暮らしをし、吉村は週に一度そこへ通うという新婚生活を送った。入所前には自分がいない間に家族が困らないように、と仕事に精を出した反面、出所後にはのめり込んでいた花札を直江に咎められようものならばすぐさま手をあげた。子供たちが生まれてからは子供3人に愛犬のスピッツを乗せて海までツーリングへ出かけるなど、子煩悩な面を見せる反面、食事に問題があると怒鳴ってお膳をひっくり返し、妻にあたるなどひきつづき粗暴な面は見られた。しかし、子供達には手を上げるような事はせず、オートバイのチューニングに打ち込むようになってからは家事や作業での負担をかけることはあったが、妻に全幅の信頼を寄せ仕事に打ち込む夫とそれを支える妻という二人の姿は感動的なほど絆の強い夫婦として周囲には映ったようである。アメリカ滞在中は自動車が無いために自転車や徒歩で買い物を行い、従業員も含めた大人数の食事の世話をしながらバルブ擦り合わせや曲げ加工を行うエキゾーストパイプに砂を詰めるなど、作業でも吉村を支えた直江に対して、吉村は「今度生まれても、お前と結婚したい」と感謝の思いを語っている。
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