夫との離縁(文政四年秋頃 24歳頃)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 05:42 UTC 版)
「貞心尼」の記事における「夫との離縁(文政四年秋頃 24歳頃)」の解説
貞心尼離縁(八、九年間夫婦トナル) — 中村藤八 、『浄業餘事』 文政四年(1821年)五月五日「天気よし 七日市(なのかいち) 神楽来(かぐらきた)ル 立山(たてやま) 開帳参詣(さんけい) 山行 入用 茂兵衛より 鯛壱枚 代二百五拾文 鱒(ます)二百廿五文 玉子 すや出す 代八拾文 酒二升 右之割(みぎのわり)雄兵衛 素面(すずら) 長温内 外 もち代」(文政四年(1821年) 西井口家『日監』。)(この端午(たんご)の節句に大旦那様は気心の知れた人達と恒例の山遊参(やまゆさん 山遊び)をします。そこに関長温のご内儀(ないぎ)が割り勘の外に餅代を出した、と読めます。)(この時点でます婦人は小出島に居たと考えます。)(智譲尼が「五・六年」とも「八、九年」とも言う婚姻の期間は八・九年間だったと思います。)この年の日記体の備忘録『日監(にっかん)』は、この五月十七日以降は見あたりません。 — 山本哲成 、「新資料により覆される「浜の庵主さま伝承」良寛・貞心尼と魚沼市」2007, p. 30
※この「夫との離縁(文政四年秋頃 24歳頃)」の解説は、「貞心尼」の解説の一部です。
「夫との離縁(文政四年秋頃 24歳頃)」を含む「貞心尼」の記事については、「貞心尼」の概要を参照ください。
- 夫との離縁のページへのリンク