NHKアナウンサー
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1978年に東京外国語大学を卒業すると、NHKに入局した。 入局翌年に放送が開始されたゴールデンタイムのバラエティ番組、『ばらえてい テレビファソラシド』の司会進行役として異例の抜擢をされ、「女性アナウンサーが芸能番組に主役で登場するのはNHK開局以来」と言われた。また、同番組で共演した当時売り出し中だったタモリからは番組中、本名のミドルネームで「キャサリン」と呼ばれていた。「英語が堪能でピアノの弾ける新人アナ」としても人気を得た頼近は「週刊TVガイド」の表紙を女子アナとして初めて飾った。 1980年4月から始まったNHK初の早朝ニュースショー、『NHKニュースワイド』でも、初代女性キャスターを務めた(森本毅郎とのコンビ)。加賀美幸子の『7時のニュース』も同月から放送開始(頼近と加賀美がNHK初の女性キャスター、民放では1979年4月から始まった『FNNニュースレポート6:30』の田丸美寿々が女性キャスター第1号)。当時、女性アナウンサーは10年経験を積まなければ、出演できなかったといわれていたが、同番組は30%の高視聴率を得た。 注目が高まっていた1981年、「自分のことばで語りたい」と フジテレビに移籍。 民放テレビ局によるNHKアナの引き抜きは、これまでにも高橋圭三など多数いたが、女性アナウンサーでは、ほぼ最初のケースであった。野際陽子の場合は、NHKを退社した後、フリーとなってTBSの番組に出演したもので引き抜きとは異なる。頼近はフジテレビからのヘッドハンティングである。1981年1月にNHKで行われた退局記者会見は、翌日のスポーツ紙が大見出しで報じ、一般紙も特集記事で後追い報道した。一女性アナウンサーの進退問題がこれほど騒がれたのは前代未聞であった。1980年代初頭当時、“振り向けばテレ東”と揶揄される低視聴率にあえいでいたフジテレビは、頼近以降、メインを張れる女子アナを次々養成していくことになる。1981年7月、田丸と共にダイアナ妃結婚の衛星中継をロンドンからレポート。
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NHKアナウンサー
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1973年、早大卒業後にスポーツアナウンサーを志してNHKに入局。同期に池上彰・宮本隆治・国井雅比古・佐塚元章などがいる。 1982年8月8日、第64回全国高等学校野球選手権大会1回戦・佐賀商業高校対木造高校戦で、佐賀商業の投手・新谷博がノーヒットノーランを達成した時のテレビ放送の実況を務めた(あとアウト1つで夏の大会史上初の完全試合になるところだった)。 スボーツニュースのキャスターを担当後、『クイズ百点満点』でバラエティ番組にも進出。人気アナウンサーとなる。退職直前には『NHK歌謡コンサート』の司会に内定していた。
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