山田二郎 (アナウンサー)
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山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日本のアナウンサー。
- ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、90頁。"出身地 東京、浅草駒形"。と記載。
- ^ “山田二郎プロフィール” (2005年11月2日). 2014年11月9日閲覧。 “浪曲師二代広沢虎造の次男として誕生”
- ^ a b c d e f 宇宙船158 2017, p. 76, 「独占インタビュー!山田二郎」
- ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、90頁。"出身校 早稲田大学文学部"。と記載。
- ^ “山田二郎プロフィール” (2005年11月2日). 2014年11月9日閲覧。 “1959年(昭和34年)3月、NHKにアナウンサーとして入局。”
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、13頁。"60.3<中途採用> 山田 二郎…<NHK佐賀放送局>…[63.11 報道局運動部兼ニュース部][67.11 報道局運動部兼アナウンサー研修室付][70.7 R本部アナウンス室兼TV本部報道部運動部][79.6 アナウンス室][89.1 報道総局アナウンス部兼R総局情報制作局Rワイド部][91.2 退社] 『スポーツ中継(野球、相撲、ボウリング、プロレス、アイスホッケー)、歌謡番組』 R「名調子!浪曲十八番集(72)」「二郎で勝負連続ヒット90分(75)<番組内のコーナー“われら街野球”の主題歌『われら街野球のうた』を作詞、自ら歌って、ポリドールから発売。曲は聴収者からの応募。>」「歌謡曲対抗クイズ合戦(77)」「二郎の全国野球マップ 〜ハイ! 歌謡曲〜(78)」「ベースボールジョッキー 〜二郎栄子のハイ! 歌謡曲〜(79)」「演歌一番鶏(82)」「二郎と奈保子のハイ歌謡曲(82)」「おはよう演歌鶏(86)」「夜はこれから(88)」「マンデー・ナイトベースボール(90)」 ★「山田二郎の土曜だワッショイ!(79)」<第9回アノンシスト賞 グランダ・プレミオ受賞> TV「ハッスル夫婦(1979)」「11時にあいましょう(1979)」「体力ゲーム. ドンGAMBA!(80)」「11時に歌いましょう(81)」 ☆72.2.23 札幌オリンピック 閉会式テレビ担当"。
- ^ a b c d e f g 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、237頁。"1960.3<経験者採用> 1人入社(男1) 山田二郎[1991.2退社]『スポーツ中継、芸能』 R「名調子!浪曲十八番集(1972)」「山田二郎の土曜だワッショイ!(1979)」 TV「ハッスル夫婦(1979)」「11時にあいましょう(1979)」"。
- ^ 講師陣からのメッセージ TBSアナウンススクール公式サイト(2009年当時のアーカイブ)
- ^ 「063-2931-4 任侠虎造ぶし」JASRAC検索結果詳細
- ^ TBSラジオ番組表(1975年10月~1976年3月) (PDF) ラジオ東京スピリッツ
- ^ TBSラジオ 1976年10月ラジオ番組表 (PDF) ラジオ東京スピリッツ
- ^ “ウルトラマンシリーズ初!全天球360度VR特撮作品『ウルトラマンゼロVR』『ウルトラファイトVR』が2017年10月1日(日)より全国の「VR THEATER」他にて展開決定!”. 円谷プロダクション. (2017年9月11日) 2023年8月28日閲覧。
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- 2 山田二郎 (アナウンサー)の概要
- 3 音楽
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