山田二郎 (登山家)とは? わかりやすく解説

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山田二郎 (登山家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/18 05:39 UTC 版)

山田 二郎(やまだ じろう、1923年 - )は、日本登山家

経歴

後に陸軍大将関東軍総司令官となった山田乙三の次男[1]として東京に生まれ、慶應義塾大学経済学部在学中に兄の影響を受けて山岳部で登山を始める[2]。戦時中は、学徒出陣により、兄に続いて陸軍に入隊し[1]、戦車隊に配属された[3]。復員後、1948年に大学を卒業し[4]配炭公団に勤務した後、飼料会社の創業に関わるなどした[2]

第一次、第二次マナスル登山隊に参加[2]

三国商工(後のミクニ)に勤務した[2]

1960年、慶應ヒマルチュリ登山隊の隊長を務め[2]田辺寿と原田雅弘のヒマルチュリ (Himalchuli) 初登頂を果たし[5]、その体験を翌年『登頂ヒマルチュリ』として出版した[6]

1990年から1993年まで、日本山岳会会長を務めた[7]1992年の日本山岳会と中国登山協会の合同隊によるナムチャバルワ初登頂の際には、日本山岳会会長として総隊長を務めた[8]

脚注

  1. ^ a b “山田大将令息も入隊”. 読売新聞・夕刊: p. 2. (1943年12月1日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  2. ^ a b c d e “山田二郎 人”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 10. (1960年2月9日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  3. ^ 連続講演会「語り継ぐ日本山岳会の歴史」第1回 山田二郎氏(第18代会長)「山は人との出会い」”. 日本山岳会. 2014年12月22日閲覧。
  4. ^ 『慶應義塾百年史』、479 (3225)頁。 
  5. ^ “慶大隊ヒマルチュリ登頂に成功”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 11. (1960年6月2日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  6. ^ “山田二郎著「登頂ヒマルチュリ」 読書(えつらん室、ベストセラー診断)”. 朝日新聞・東京朝刊: p. 7. (1961年3月3日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  7. ^ 日本山岳会のあゆみ”. 日本山岳会. 2014年12月22日閲覧。
  8. ^ “日中合同隊がナムチャバルワに初登頂 ヒマラヤ・世界最高の未踏峰”. 朝日新聞・朝刊: p. 30. (1992年10月31日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
学職
先代
今西壽雄
第15代:1985年 - 1989年
日本山岳会 会長
第16代:1989年 - 1993年
次代
藤平正夫
第17代:1993年 - 1995年



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