ヒマルチュリとは? わかりやすく解説

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ヒマルチュリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 10:26 UTC 版)

ヒマルチュリ (Himalchuli) は、ネパール領内のヒマラヤ山脈の一部を成すマンシリ・ヒマール (Himalchuli) において、2番目に標高が高い山。8000メートル級の山のひとつであるマナスルの南方に位置している。主峰は、東峰 (7893m)、西峰 (7540m)、北峰 (7371m) の3峰がある。表記は、2語に区切ってヒマル・チュリ (Himal Chuli) とされることもある。


  1. ^ a b c High Asia II: Himalaya of Nepal, Bhutan, Sikkim and adjoining region of Tibet”. Peaklist.org. 2014年5月30日閲覧。
  2. ^ “ヒマルチュリを攻撃 ケニヤのヒマラヤ登山隊”. 朝日新聞・ 東京朝刊: p. 6. (1955年3月31日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  3. ^ AFP (1958年10月30日). “カトマンズに帰る ヒマルチュリ先遣隊”. 朝日新聞・ 東京朝刊: p. 9  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  4. ^ “8登山隊員決る 二月中旬ヒマルチュリへ”. 朝日新聞・ 東京朝刊: p. 9. (1958年12月13日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  5. ^ ロイター (1958年10月30日). “頂上目前で断念 日本隊 ヒマルチュリ失敗”. 朝日新聞・ 東京朝刊: p. 9  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  6. ^ a b “ヒマルチュリに転向 慶大ヒマラヤ登山隊”. 朝日新聞・ 東京朝刊: p. 9. (1959年12月30日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  7. ^ “今春、ヒマルチュリへ 慶大隊遠征計画を発表”. 朝日新聞・ 東京朝刊: p. 9. (1960年2月7日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  8. ^ a b 『慶應義塾百年史』、479 (3225)。
  9. ^ “慶応隊ヒマルチュリ初登頂写真第一報”. 朝日新聞・ 東京夕刊: p. 5. (1960年6月8日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  10. ^ “慶大隊が遭難者の供養碑 ヒマルチュリに”. 朝日新聞・ 東京朝刊: p. 9. (1960年6月15日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  11. ^ a b “ヒマルチュリ西峰にも登頂 雪と岩の会”. 朝日新聞・ 東京朝刊: p. 17. (1978年5月26日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  12. ^ 日本隊など入国禁止 ネパール「登山規則破った」『朝日新聞』1978年(昭和53年)7月1日朝刊、3版、10面
  13. ^ “登頂後の下山途中で日大隊の1人不明 ネパール・ヒマラヤ”. 朝日新聞・ 東京朝刊: p. 22. (1986年11月3日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧


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