広沢虎造 (2代目)
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二代目広沢 虎造(ひろさわ とらぞう、1899年〈明治32年〉5月18日 - 1964年〈昭和39年〉12月29日)は昭和時代の浪曲師、俳優[1]。東京府東京市芝区白金(現東京都港区白金)出身[2]。本名は山田 信一、旧姓は金田。
注釈
出典
- ^ 『昭和物故人名録(昭和元年〜54年)』日外アソシエーツ
- ^ 『大衆文化事典』弘文堂、1991年2月25日。p.654
- ^ 『20世紀 WHO'S WHO 現代日本人物事典』旺文社、1986年11月10日
- ^ 与那原p.60
- ^ 吉川p.15
- ^ 旺文社1986
- ^ 唯 p.267
- ^ 内山惣十郎『浪曲家の生活』p.250
- ^ 『20世紀日本人物事典』日外アソシエーツ
- ^ 『大衆文化事典』弘文堂、1991年2月25日。
- ^ 『現代日本朝日人物事典』広沢虎造(2代) 1990年12月10日
- ^ 桂米朝『米朝よもやま話』「講釈師追いかけ回した虎造」p.109
- ^ エーピーピーカンパニー『江戸東京芸能地図大鑑』(マルチメディアCD-ROM)付属冊子p.22
- ^ コンサイス日本人名事典第4版p.1108
- ^ 『現代日本朝日人物事典』 1990年12月10日
- ^ 中川明徳の解説。レコード
- ^ 芝清之『浪花節. ラジオ・テレビ出演者及び演題一覧』月刊浪曲編集部、1986年6月。JP番号 87025030 p.14
- ^ 読売新聞『ヨミダス歴史館』で確認。顔写真入り。「名人虎丸の舎弟―虎造の処女放演」
- ^ 「浪界の人気者、広沢虎造重傷 番頭は絶命、円タク助手危篤 東横の踏切り惨事」朝日新聞1933年4月12日。読売新聞も同様記事
- ^ a b 『新潮日本人名辞典』1991年3月
- ^ 独演会でなく綾太郎・友衛も競演の「愛国浪曲の夕」10月4日-5日。年表上p.274
- ^ 8月16日。年表上p.286
- ^ 原本である『日本浪曲史』p.16「昭和十五年晩夏、廣澤虎造興行問題を巡っての、浅草田島町殺傷事件のごとき、以上、説述した浪曲家が伝統生活中の、最も悪質に属する部分の残滓のあらわれと見てよいであろう。」
- ^ 『TBS50年史 資料編』p.189
- ^ 唯p.218。2位はミリオンゲーム・ミュージックレストラン15%、世論科学協会調査。同日別調査のNHK「放送演芸会 夢声百話」の35%と遜色ない
- ^ 当社の開局当初、広沢虎造(故人)が連続口演した「清水次郎長外伝・石松代参」が圧倒的な歓迎をうけ、当時、NHKのメロドラマ「君の名は」がその放送時間に女風呂を空にしたのと並んで、男風呂を空にした人気を思うと、全く今昔の感にたえない。『TBSのあゆみ』p.443◆
- ^ 番組収録中のラジオ東京スタジオ内で
- ^ アニメ浪曲紀行 清水次郎長伝の存在
- ^ 広沢虎康の事例
- ^ 落語家の三遊亭白鳥(1963年生。虎造は1959脳溢血後、1964年没。)が影響を明言した任侠流山動物園シリーズを創作し、浪曲だけでなく、講談にまで実演が広がっている例
- ^ 年表上p.223
- ^ 年表上p.261
- ^ 年表上p.269
- ^ 年表上p.270
- ^ 年表上p.272
- ^ 年表上p.273
- ^ 朝日新聞告知広告より
- ^ 年表上p.274
- ^ 年表上p.275
- ^ 年表上p.279
- ^ 年表上 p.281
- ^ 年表上p.282
- ^ 年表上p.285
- ^ 年表上p.286
- ^ 年表上p.293
- ^ 年表上p.295
- ^ 年表上p.298
- ^ 年表上p.299
- ^ 年表上p.301
- ^ 年表上p.309
- ^ 年表上p.315
- ^ 年表上p.317
- ^ 年表上p.321
- ^ 年表上p.322
- ^ 年表上p.345
- ^ 年表上p.352
- ^ 『日本映画人名事典 男優編下』p.527
- ^ 虚偽記載のようで出演者に虎造の名が無い。典拠:jmdb
- ^ 日活のページ。7巻欠損とある
- ^ 公開日前後の映画広告確認済み。出演クレジットではないがイメージ広告的手法で匂わせている。1935.10.15紙面など。
- ^ 年表上p.412
- ^ jmdb
- ^ jmdb
- ^ 『新興キネマ』p.186
- ^ jmdb
- ^ a b c 年表上p.422
- ^ 会社別興行収入ベスト4位『戦時下の日本映画』p.73
- ^ 浪曲師の二代目広沢虎造(以下、単に広沢虎造と表記)の代表作清水次郎長の一節を広沢の浪曲(浪花節)口演を挿入して映画化したやくざ映画(股旅物)『金毘羅代参・森の石松』(七月一三日封切)が大ヒットし『戦時下の日本映画』p.74
- ^ jmdb
- ^ ノート参照
- ^ jmdb
- ^ 1939年日活興行収入ベスト5位に入っている。『戦時下の映画』p.103画像有り
- ^ jmdb
- ^ jmdb
- ^ jmdb
- ^ jmdb公開。広沢虎造。
- ^ jmdb
- ^ jmdb
- ^ 年表上p.425
- ^ 『戦時下の日本映画』p.123-124。1940年ヒット映画日活京都の2位に入っている。
- ^ 『映画人名事典 男優編下』p.527
- ^ jmdb
- ^ jmdb
- ^ 年表上p.429
- ^ jmdb
- ^ 年表上p.430
- ^ jmdb
- ^ jmdb
- ^ 年表上p.435
- ^ 『戦時下の日本映画』p.173。1944年興業収入ベスト10位に入っている
- ^ jmdb出演データ無く幻の一本扱い
- ^ https://mukasieiga.exblog.jp/21805751/ 正式に出演データに載ってないが、京橋の国立映画アーカイブ(旧フィルムセンター)での観映ブログ
- ^ 年表上p.438
- ^ jmdb
- ^ jmdb
- ^ jmdb
- ^ 年表上p.449
- ^ jmdb
- ^ jmdb
- ^ jmdb
- ^ jmdb
- ^ 年表上p.458
- ^ jmdb
- ^ 年表上p.460
- ^ jmdb
- ^ jmdb
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- ^ jmdb
- ^ 年表上p.461
- ^ 以上『日本映画人名事典 男優編下』p.526
- ^ jmdb
- ^ 年表上p.462
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- ^ [1]
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- ^ AllCinema
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- ^ ムービーウォーカープラス
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- ^ jmdb。
- ^ AllCinema
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- ^ 『朝日放送の50年 Ⅲ資料集』p.91
- ^ jmdb
- ^ 1937年キネマ旬報ベスト10の3位に、興行会社別収入で新興キネマの2位に入っている。『戦時下の日本映画』p.42
- ^ モデルと思しき人物が虎造(と伯山:実名)
- ^ NHKラジオ深夜便「あすへのことば・甦れ!浪曲師広沢虎造」山田二郎より
- ^ 「江戸っ子だってねえ 浪曲師広沢虎造一代」吉川潮 著より
- 1 広沢虎造 (2代目)とは
- 2 広沢虎造 (2代目)の概要
- 3 来歴
- 4 代表的な演題
- 5 ラジオ
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