東京映画とは? わかりやすく解説

東京映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/04 13:37 UTC 版)

東京映画株式会社
Tokyo Eiga Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場 / 現在消滅
略称 東京映画
本社所在地 日本
141-0021
東京都品川区上大崎2-10-17
(1952年 – 1962年)
〒156–0055
東京都世田谷区船橋3-4
(1962年 - 1977年)
東京都世田谷区成城1丁目4-1
(1977年 - 1983年)
設立 1952年5月27日
業種 サービス業
事業内容 映画の製作
主要株主 東宝
関係する人物 加藤譲
三輪礼二
山崎喜暉
佐藤一郎
北沢勇
椎野英之
金原文雄
奥田喜久丸
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東京映画株式会社(とうきょうえいが)は、かつて存在した日本の映画制作プロダクションである。1952年(昭和27年)5月27日に東宝の関係会社として設立、東宝が配給した映画「駅前シリーズ」等のコメディ映画を製作し、東京映画撮影所を稼働させた。東宝は東西両撮影所制を敷いた大映や東映、松竹(1965年京都撮影所閉鎖=部分的に別会社として存続活動後、大船閉鎖後ふたたび松竹撮影所として機能している)と異なり、戦前期に京都撮影所を閉鎖して砧撮影所に製作を原則一元化していたが、傘下の東京映画と宝塚映画は別に撮影所を持ち、盛期にはそれぞれ年間十本程度の作品を供給し続けている。ともに監督と俳優は東宝から供給されたが、技術スタッフは独自の機構を備えてそれぞれのカラーを発揮した。東京映画は、撮影所なのに皆ネクタイを締めている、と活動屋たちを驚かせた初期の東宝撮影所の社風を戦後まで引き継いだ紳士集団であったといわれる。

1983年(昭和58年)8月25日に株式会社東京映画新社梅浦洋一社長在籍時の2004年9月1日、東宝に合併して消滅)に改組、消滅した[1]

撮影所の変遷

年号 名称 所在地 備考
1952年 東京映画撮影所 東京都品川区上大崎2-10-17 創立・開所
1962年 東京映画撮影所 東京都世田谷区船橋3-4 移転、連合映画からレンタル
1977年 東宝スタジオ 東京都世田谷区成城1丁目4-1 移転、閉鎖された東宝技術研究所の建物を使用
1983年 更地・売却

略歴・概要

1952年(昭和27年)5月27日、東宝に映画作品を供給する映画製作会社として三輪小十郎が設立した。設立当時の撮影所は、東京都品川区上大崎海軍大学校跡地にあった東日興業スタジオを買収、開所された[2]。設立開所第1作は、加藤譲製作、豊田四郎監督の『春の囁き』で、同年12月10日に公開された。

1958年(昭和33年)、豊田四郎が監督した『駅前旅館』をきっかけに「駅前シリーズ」が始まり、同シリーズは1969年(昭和44年)、杉江敏男監督の『喜劇 駅前桟橋』まで全24作つづいた。

1962年(昭和37年)8月15日、撮影所を世田谷区船橋連合映画撮影所に移転した。上大崎の跡地には東宝の子会社日本映画新社が入居した。新撮影所は当時のスター俳優森繁久彌邸に隣接し、森岩雄が設立した連合映画からのレンタルであった。

1970年(昭和45年)、加山雄三主演の「若大将シリーズ」を第15作、岩内克己監督の『ブラボー! 若大将』、第16作『俺の空だぜ! 若大将』のみ製作を引き継いだ。大映が倒産、日活が「日活ロマンポルノ」の製作を開始した1971年(昭和46年)以降、大映の池広一夫増村保造、日活の藤田敏八神代辰巳らが東京映画でメガホンをとっている。

1972年、東宝本体が製作を停止。「五核」を名付けられた五つの子会社が作品供給の中心になることが発表される。プロデュース会社である芸苑社、青灯社、砧撮影所を本拠とする東宝映画、東宝映像とともに東京映画もその一角に名を連ねた(宝塚映画は東宝の子会社ではなく兄弟会社にあたるため含まれていない)。しかし、実際は勝プロ、ホリ企画などの社外プロダクションに押されて五核の製作活動は振るわず(青灯社などは結局1本も製作できなかった)、東京映画も製作本数を減らしていく。

1975年(昭和50年)以降は製作本数が激減し、1977年(昭和52年)2月に撮影所を買収し東宝スタジオ内の東宝技術研究所の建物に移す。だがこの頃から1作のみを製作・公開するようになり、1979年(昭和54年)と1980年(昭和55年)には、創立以来初めて、1作も製作・公開できなかった。1981年(昭和56年)に公開された森谷司郎監督の『漂流』を最後に映画製作から完全撤退した。撮影所もこのころ閉鎖・売却した(跡地はリゾートプラザ成城住宅展示場)。

1983年(昭和58年)8月25日、株式会社東京映画新社に改組、消滅した[1]。東京映画新社はその後、テレビ映画を製作したが、1993年(平成5年)に東宝テレビ部で『太陽にほえろ!』を立ち上げたプロデューサー梅浦洋一が社長に就任し、2004年(平成16年)9月1日、東宝に合併して消滅した[1]

東京映画撮影所の録音部である「東京映画映像部」は、テレビ映画『ウルトラマンタロウ』等にクレジットされているが、1977年の移転により東宝録音センターに吸収される。同社が末期に手がけたテレビ映画、花王 愛の劇場わが子よ』は新社が引き継ぎ、1986年(昭和61年)の第6シリーズまで製作された。

フィルモグラフィ

  1. ^ a b c 簡易合併に関するお知らせ東宝、2004年6月22日付、2009年10月10日閲覧。
  2. ^ 日本映画新社という会社 Archived 2009年6月2日, at the Wayback Machine.」、執筆重田一男、ニュース映画製作者連盟、2009年10月10日閲覧。

外部リンク


東京映画

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本郷秀雄」の記事における「東京映画」の解説

特筆以外すべて製作は「東京映画」、配給は「東宝」である。当時本郷所属第一協団である。 『チャッカリ夫人とウッカリ夫人 やりくり算段の巻』 : 監督渡辺邦男1954年3月10日公開二挺拳銃の龍』 : 監督小石栄一、製作東映東京撮影所配給東映1954年6月8日公開 - 黒沼元 『とんち教室』 : 監督渡辺邦男、製作東映東京撮影所配給東映1954年7月13日公開 - ドリルの政 『その後チャッカリ夫人とウッカリ夫人』 : 監督春原政久、1954年8月15日公開見ない頂戴お月さま』 : 監督中川順夫、製作えぬ・えすプロ配給東宝1954年9月17日公開結婚期』 : 監督井上梅次、製作クレインズ・クラブ、配給東宝1954年11月16日公開 - 東畑六郎俺の拳銃は素早い』 : 監督野口博志製作・配給日活1954年12月28日公開 - 吉公一94分尺で現存NFC所蔵) 『次郎長遊侠秋葉火祭り』 : 監督マキノ雅弘製作・配給日活1955年2月28日公開 - 増川仙右衛門90分尺で現存NFC所蔵) 『めくら』 : 監督マキノ雅弘製作・配給東宝1955年3月1日公開 - 辰五郎次郎長遊侠天城』 : 監督マキノ雅弘製作・配給日活1955年5月3日公開 - 仙右衛門96分尺で現存NFC所蔵) 『虹の谷』 : 監督吉村廉古賀聖人、製作新理研第一協団、配給新東宝1955年6月16日公開 - 役名不明88分尺で現存NFC所蔵) 『りゃんこ弥太郎』 : 監督マキノ雅弘製作・配給新東宝1955年6月13日公開 - 乾分勘十94分尺で現存NFC所蔵) 『若夫婦なやまし日記』 : 監督田尻繁、1955年9月13日公開 - 主演赤城血祭』 : 監督マキノ雅弘製作・配給新東宝1955年9月25日公開 - おかめの勇的、94分尺で現存NFC所蔵) 『人生とんぼ返り』 : 監督マキノ雅弘製作・配給日活1955年11月1日公開 - 太田116分尺で現存NFC所蔵) 『チャッカリ夫人とウッカリ夫人 夫婦円満の巻』 : 監督青柳信雄1956年1月8日公開チエミ初恋チャッチャ娘』 : 監督青柳信雄製作・配給東宝1956年2月18日公開 - 清水茂雄 『隠密七生記』 : 監督渡辺邦男製作・配給新東宝1956年3月27日公開 - 辰蔵幽霊タクシー』 : 監督小田基義1956年6月14日公開 - 穴山平助暴力王者』 : 監督内川清一郎製作・配給新東宝1956年6月14日公開 - 吉井

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