神田伯山とは? わかりやすく解説

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かんだ‐はくざん【神田伯山】

読み方:かんだはくざん

講談神田派の名。

[一]初世)[?〜1873]幕末から明治初期活躍した講談師川崎生まれ本名斎藤定吉初世神田伯竜門弟。特に「天一坊」が得意で、川柳に「伯山は天一坊をたて」と詠まれた。

[二]2世)[1841〜1920]本名玉川金次郎初世門弟。「幡随院長兵衛」などを得意とした。のち、(しょうり)と改名

[三]3世)[1872〜1932]本名岸田2世門弟。「清水次郎長伝」などで有名。


神田伯山

作者村上元三

収載図書次郎長三国志
出版社角川書店
刊行年月2008.7
シリーズ名角川文庫


神田伯山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/26 05:35 UTC 版)

神田 伯山(かんだ はくざん)は、講釈師名跡。当代は六代目。三代目が特に有名。初代は神田派の祖である。

初代

文化末頃[1] - 1873年10月4日[1]。本名:斎藤 定吉(さいとう さだきち)[1]。神田派の祖[1]

武州川崎の生まれ[1]初代神田伯龍に入門する[1]。嘉永年間、初代松林白圓に対抗して、わざと間延びした話し方を開発した[1]。明治3年(1870年)門弟の神田伯勇に伯山を譲った[1]。これ以降、引退したとも、老伯山と称して高座に上ったとも言われる[1]。1873年10月4日、没。郷里で盗賊に不慮の死を遂げたとも言われるが、判然としない[1]。墓所は神奈川県川崎市大徳寺[1]

得意な演目は「天一坊」「宮本武蔵」「大坂軍記」などで[1]、「天一坊伯山」と呼ばれた。普段は常に帯刀し、高座の刀架けに脇差をのせてから話し始めたといわれる[1]。その刀は靖国神社遊就館に献納されている。

二代目

初代 神田 かんだ 松鯉 しょうり
本名 玉川 たまがわ 金次郎 きんじろう
生年月日 1843年9月
没年月日 1921年4月27日
出身地 日本東京府
師匠 初代神田伯山
弟子 三代目神田伯山
名跡 1.神田伯勇
(1858年 - ?)
2.神田小伯山
(? - 1870年)
3.二代目神田伯山
(1870年 - 1904年)
4.初代神田松鯉
(1904年 - 1921年)
活動期間 1858年 - 1921年
家族 二代目神田松鯉(実子)

1843年9月 - 1921年4月27日。本名:玉川 金次郎(たまがわ きんじろう)。

飯田町九段中坂下の生まれ。15歳で初代神田伯山に入門し伯勇、小伯山を経て、28歳の1870年に2代目伯山を襲名。「水滸伝」などを得意とした。1904年、名跡を譲り隠居名「初代神田松鯉」に改名した。松鯉というのは「神田祭」に掛けた洒落。1913年浅草金車亭で講釈師、落語家を集め高座生活57周年記念の祝賀演芸会を開催。

幕末から明治を描いた大河ドラマ青天を衝け』(2021年)においては、六代目が二代目の役として出演している。

弟子

  • 神田伯一
  • 福井南洋
  • 神田伯嶺
  • 神田鯉昇
  • 神田鯉喬
  • 神田龍生
  • 神田龍馬
  • 神田伯国
  • 神田伯三
  • 神田伯史
  • 神田西山
  • 神田湖山
  • 神田秋山
  • 神田朝山
  • 神田伯鱗 (2代目)
  • 神田豊山
  • 神田琥珀
  • 神田伯洲
  • 神田伯水
  • 神田伯龍 (4代目)
  • 神田伯治 (2代目) 
  • 神田松鯉 (2代目)
  • 神田伯山 (3代目)

三代目

三代目 神田 かんだ 伯山 はくざん
本名 岸田 きしだ 福松 ふくまつ
別名 次郎長伯山
八丁荒し
生年月日 1872年8月18日
没年月日 (1932-01-30) 1932年1月30日(59歳没)
出身地 東京府京橋
師匠 二代目神田伯山
弟子 初代神田山陽
初代神田ろ山
三代目神田伯治
五代目神田伯龍ほか
名跡 1.神田松山
(1883年 - 1895年)
2.神田小伯山
(1895年 - 1904年)
3.三代目神田伯山
(1904年 - 1932年)
活動期間 1883年 - 1932年
活動内容 講談師

三代目 神田 伯山1872年8月18日(明治5年7月15日)[2] - 1932年1月30日[2])は、講談師。本名:岸田 福松[2]。東京生まれ。紋は「三ツ鐶」。

経歴

1872年7月、東京京橋の花屋に生まれる[2]。幼少期に二代目松林伯圓の高座「中山大納言」「鼠小僧」を聴き講釈師に憧れる[2]1883年二代目神田伯山に入門し、神田松山と名乗る[2]1895年、神田小伯山と改名し、真打昇進[2]1904年、二代目神田伯山が初代神田松鯉を襲名するにあたり、三代目神田伯山を襲名[2]

1907年5月、東京本所東両国の福本にて「名も高き富士の山本」初演。1911年、5か月連続で中央新聞に速記を掲載し、好評を得る。1922年(大正11年)4月25日、市村座で独演会、演目は清水次郎長 (講談)(~26日)。講談師の劇場初出演[3]1922年(大正11年)9月22日、本郷座で「清水次郎長」(~9月24日)[4]

1932年1月30日胃潰瘍のため死去。墓所は港区済海寺[2]

人物

三尺もの(侠客もの)を得意とし、特中でも「清水次郎長伝」を最大の売り物とした[2]。彼が「清水次郎長伝」を高座にかけると、周辺の寄席は皆、客を取られてしまうので「八丁荒し」「次郎長伯山」の異名を取るほどの人気を誇った[2]

もともと、講談「清水次郎長」は山本鉄眼「東海遊侠伝」を基に、講談師の松迺家太琉(のちの松迺家京伝)が脚色したものだった[2]。しかし、太琉の力量ではネタが受けず、三代目伯山にネタが譲られたものである[2]。浪曲師二代目広沢虎造のフシ付けの「清水次郎長伝」は、三代目伯山が演じた型をベースにしている。

3代目神田伯山の寄進による玉垣。宗吾霊堂(宗吾親子の墓)にて。

弟子

5代目

五代目 神田 かんだ 伯山 はくざん

五代目伯山(当時三代目桃川如燕、1955年)
本名 岡田 おかだ 秀章 ひであき
生年月日 1898年4月28日
没年月日 (1976-11-04) 1976年11月4日(78歳没)
出身地 日本東京府本郷
師匠 二代目桃川若燕
三代目小金井芦州
三代目神田伯山
五代目神田伯龍
名跡 1.桃川若秀
(1918年 - ?)
2.小金井桜州
(不詳)
3.神田五山
(? - 1949年)
4.三代目桃川如燕
(1949年 - ?)
5.神田五山
(? - 1957年)
6.五代目神田伯山
(1957年 - ?)
7.四代目神田伯山
(? - 1976年)
活動期間 1918年 - 1976年
活動内容 講談師

五代目 神田 伯山1898年4月28日[5] - 1976年11月4日[5])。本名:岡田 秀章[5]

経歴

1898年4月、東京本郷に生まれる[5]。1917年、二代目桃川若燕に入門し、桃川若秀を名乗る[5]。1920年、三代目小金井芦州門下へ移り、小金井桜洲と改名[5]。1922年、三代目神田伯山門下へ移り、神田五山を名乗る[5]

1949年、三代目桃川如燕を襲名する[5]。この背景には、桃川若燕の未亡人からの依頼と、神田派を山田春雄が仕切っていたことへの愛想尽かしがあったという[5]。また、五代目神田伯龍の通夜の際、丹前姿で現れ、驚いた山田春雄から「他の人でさえ通夜には紋付(の正装)で来るのに、弟子のお前がどてら姿で通夜に参列とは何事か!」と怒られた逸話がある[要出典]

1977年、神田五山に復帰し[5]、同年8月15日に五代目神田伯山を襲名する[5]。口上では、「四代目は兄弟子神田松鯉に敬意を表して五代目神田伯山を継ぐ」としており、襲名当時は五代目を名乗ったものの、後には自ら四代目を名乗った[5]。1965年、講談組合を脱退してフリーとなる[5]。1972年、勲四等叙勲の受章を辞退[5]

1976年11月4日、肺気腫のため死去[5]。死後、神田伯山の名跡は、元直弟子であった神田昇龍が預かっていたが、のちに六代目を襲名する神田松之丞が師匠の伝手で、昇龍との接触に成功し、名跡を授かることができた[6]

吃音があったため、ゆったりと重厚な読み口が特徴だった[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、105-108頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、109-114頁。 
  3. ^ 年表上[要文献特定詳細情報]p.190
  4. ^ 年表上[要文献特定詳細情報]p.191
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、114-120頁。 
  6. ^ 紛失未遂に水濡れ…神田松之丞の「名跡」の扱いが雑すぎた! Asagei Biz 2020年2月5日 2021年10月10日 閲覧



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