神田伯治とは? わかりやすく解説

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神田伯治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/21 06:58 UTC 版)

神田 伯治(かんだ はくじ)は、講談師の名跡。

  • 初代神田伯治 - 後∶三代目神田伯龍
  • 二代目神田伯治 - 本名や経歴は不詳[1]。二代目神田伯山の弟子で、1885年~1888年の間に二代目伯治と名乗り、1900年頃まで活動した[1]。1902年、死去[1]
  • 三代目神田伯治 - 本項にて記述
  • 四代目神田伯治 - 後∶六代目神田伯龍

三代目 神田 かんだ 伯治 はくじ
本名 大沢 順太郎
生年月日 1889年8月30日
没年月日 (1940-05-25) 1940年5月25日(50歳没)
出身地 日本東京都下谷区
師匠 二代目神田伯治
二代目桃川如燕
三代目神田伯山
家族 二代目神田伯治∶父

三代目 神田 伯治(かんだ はくじ、1889年8月30日[2] - 1940年5月25日[2])は、講談師。本名∶大沢 順太郎[2]

東京下谷に二代目神田伯治の子どもとして生まれる[2]。1902年に父が没すると、二代目桃川如燕に引き取られ、燕童と名乗る[1]。1906年頃、三代目神田伯山の門下に移り、三代目神田伯治を襲名[1]。1913年、真打昇進[1]。1940年、急性肺炎のため死去[1]

得意演目に「切られ与三郎」「鼠小僧」「天一坊」「柳沢騒動」などがある。音曲・声色・声真似もでき[1]、書画も巧みだった。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、173-174頁。 
  2. ^ a b c d 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、175-176頁。 

参考




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