寿々木米若とは? わかりやすく解説

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すずき‐よねわか【寿々木米若】

読み方:すずきよねわか

[1899〜1979浪曲師新潟生まれ本名藤田松平民謡佐渡おけさ取り入れた浪曲佐渡情話」が大ヒットし、映画化もされた。


寿々木米若

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/06 01:04 UTC 版)

寿々木 米若(すずき よねわか、本名:野上 松平〈のがみ まつへい〉、1899年4月5日 - 1979年12月29日)は、昭和時代の浪曲師。新潟県中蒲原郡曽野木村大字曽川(現、新潟市江南区)出身。

概要

叔父は浪曲師の初代寿々木亭米造。農家の一家に育つ。1920年に上京、父の紹介で2代目寿々木亭米造に入門、寿々木亭米若(のちに寿々木米若)の名で前座ではなく二つ目からスタートした。1923年に真打昇進し一門を離れ独立。1928年に早くも渡米し巡業する。新作物を得意とし[1]佐渡おけさにヒントを得て創作し自ら口演したSPレコード佐渡情話」が大ヒット(約75万枚[2])。ビクターテイチクといったレコード会社を跨いだ形で吹き込みされた演目であり、1930年代にレコードとして最も売れた浪花節の一つである[3]

〽佐渡へ 佐渡へと 草木はなびく

の哀調を帯びた外題付けは、有名になった。

哀切な語り口調と関西節の美声が特長的である。俳句も良くし、高浜虚子に師事、多くの作品を残している。長年日本浪曲協会会長も務めた。熱海に建てた旅館「よねわか荘」を別宅としたが、巡業続きで帰る暇がほとんど無いほどだったという。

代表的な演目

索引

204.227.243#246#261#273#276#283#288#289#302#309#409.410.413.422.426.439#447#448#449#458下26#28#34#38#41#42#43#52#54#57#59#60#61#62#70#82#84#87#100#110#113#115#120#121#126

受賞歴

脚注

  1. ^ 特に同時代を意識した新作に積極的に取り組んだp.84
  2. ^ 「人間模様・喜劇人たち」『新評』1978年4月号、155頁。NDLJP:1808097/79
  3. ^ 真鍋p.78

参考文献

  • 真鍋昌賢『浪花節 流動する語り芸 演者と聴衆の近代』せりか書房、2017年3月。ISBN 9784796703635 3章、4章、6章
  • 倉田喜弘/林淑姫『近代日本芸能年表』上下
  • 唯二郎『実録浪曲史』
  • 芝清之『浪花節 : 東京市内・寄席名及び出演者一覧 』月刊浪曲編集部、1986年。JP番号 87007797 ※索引無し

外部リンク

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