三浦巌とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 三浦巌の意味・解説 

三浦巖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 21:19 UTC 版)

三浦 巖(みうら いわお 1917年2月13日 - 1982年1月30日)は日本の画家水彩画家。東京帝国大学文学部卒業という異色の経歴を持ち、短い期間ではあるがフランスでも活動した。

経歴

1917年(大正6年)大阪府大阪市に生まれる。1941年(昭和16年)東京帝国大学文学部東洋史学科を卒業[1]。同年同大学院へ進学した。1942年(昭和17年)頃から本郷絵画研究所に学び、1949年(昭和24年)第37回日本水彩展においてみずゑ賞を受賞、日本水彩画会会員となった。

1964年(昭和39年)から一年間パリに滞在。1970年(昭和45年)「薬師寺の塔」がル・サロン(フランス芸術家協会サロン展)で銀賞を受け、翌1971年(昭和46年)「パリ風景」が金賞を受賞、以後ル・サロンにおいて無鑑査となる。1982年(昭和57年)1月30日、食道ガンのため東京都港区三田の済生会中央病院で死去[2]

著作

  • 『絵になる時』七曜社 1963年
  • 『大空画室』美術出版社 1968年
  • 『水彩画法十二ケ月』渓水社 1980年

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 三浦巖『出身県別 現代人物事典 西日本版』p1007 サン・データ・システム 1980年
  2. ^ 「三浦巖」『日本美術年鑑』p265 1983年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  三浦巌のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「三浦巌」の関連用語

三浦巌のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



三浦巌のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの三浦巖 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS