小坂秀二
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小坂 秀二(こさか ひでじ、1918年3月16日 - 2003年4月6日)は、日本の歯科医、相撲評論家、著作家、アナウンサー。
注釈
- ^ 1951年12月25日開局。1955年4月よりラジオ・テレビ兼営局。2001年10月にラジオ局部門がTBSラジオ&コミュニケーションズ、2009年4月にテレビ局部門がTBSテレビへそれぞれ分離し、放送持株会社化(東京放送ホールディングス(TBSHD)へ社名変更)。TBSの略称はTBSテレビへ移行した。
出典
- ^ 過去の高砂部屋平成15年3月30日~4月22日 - 『HYPER 高砂部屋』より、4月9日分の日記を参照。
- ^ 文藝春秋1989年2月号『渦中の人物が証言する時代の断面 50人の昭和史』
- ^ 小坂秀二『大相撲ちょっといい話』文春文庫P88~89
- ^ a b c d 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 2003〜2005』日外アソシエーツ、2006年3月27日、231頁。ISBN 4-8169-1969-4。
- ^ NHKアナウンサー史編集委員会 編「NHKアナウンサー一覧」『アナウンサーたちの70年』講談社、15頁。ISBN 4-06-203232-5。
- ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、235頁。"1952.3<経験者採用> 2人入社(男2) 近江正俊<NHK名古屋> 小坂秀二<NHK大阪>"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、4頁。"52.3 <経験者>2人入社 近江 正俊…<NHK名古屋> 小坂 秀二…<NHK大阪>"。
- ^ a b c d e 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、235頁。"小坂秀二<NHK大阪>[1973.3定年]『スポーツ中継、大相撲中継』など R 日本の素顔「神これを癒し給う―心臓外科手術の記録(1955)」「スポーツの広場(1965)」 TV「ニュースの目(1964)」"。
- ^ a b c d e f g h 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、4頁。"小坂 秀二…<NHK大阪>…[54.12 編成局報道部スポーツ課兼アナウンス部][58.5R・TV編成局運動部兼アナウンス部][60.11 編成局アナウンス部][61.12 VOAへ出向][63.12 本社復帰、編成局アナウンス部][64.2 企画局企画室][64.8 報道局解説室委員][67.4 報道局報道庶務部][67.11 アナウンサー研修室兼総務局付][72.2 ティ・ビィー・エス不動産へ出向][73.3 定年] 『スポーツ中継』 R「スポーツの広場(65)」 TV「ニュースの目(64)」 ☆52.6.17 心臓手術のラジオ実況「マイクは探る〜救われた小さな命〜」21:40 - 22:00(安田一雄アナウンサーの長男、当時五歳が“ボタロー支動脈管開存症”という心臓病で手術を受ける) ☆53.9.6 「有楽町スバル座火災」火事の実況"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、22頁。"1967年11月15日 『アナウンサー研修室』設置 室長 小坂秀二(兼総務局付)"。
- ^ 東京放送 編「III 放送関係 6.主なスポーツ番組解説者」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、234頁。
- ^ 「囲碁に魅せられて」『近畿税理士会堺支部/支部だより』第248号、近畿税理士会 堺支部、2000年6月5日、2014年10月11日閲覧“元、NHKアナウンサーの小坂秀二氏は定年退職後、しばらくして72才のときに囲碁を始められたそうです。現在82才でありながら囲碁の著書を書いておられ、まさに天才としか云いようのないお方です。”
- ^ “喜怒哀楽のサラリーマン時代 小島一慶さん<2> サラリーマンというのは上司次第ですね”. Nikkan Gendai. 2020年5月4日閲覧。
- ^ a b “小坂秀二氏死去 相撲評論家”. 共同通信社. 全国新聞ネット. (2003年4月6日) 2012年2月20日閲覧。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、7頁。"1953年9月 *大相撲テレビ試験放送(小坂秀二、近江正俊、解説 天龍三郎)"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、9頁。"1955年5月15日 *大相撲テレビ中継開始(小坂秀二、近江正俊、吉川久夫、 解説 秀ノ山)"。
- ^ a b 『TBS50年史』資料編に掲載された歴代ラジオ番組一覧表より、歴代の大相撲中継番組をまとめた情報を参考に記述。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、4頁。"1952年3月12日 *「初のプロ野球放送(巨人×毎日定期戦)」(小坂秀二、解説 大和球士)"。
- ^ 『TBS50年史』資料編に掲載された歴代ラジオ番組一覧表より、歴代のプロ野球中継番組をまとめた情報を参考に記述。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、4頁。"1952年5月19日 *「世界フライ級タイトルマッチ<ダド・マリノ対白井義男>」(小坂秀二)"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』東京放送、2002年1月、9頁。"1956年11月22日 *メルボルン・オリンピック(小坂秀二・渡辺謙太郎)"。
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