江木理一とは? わかりやすく解説

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江木理一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/04 15:55 UTC 版)

えぎ りいち
江木 理一
プロフィール
出身地 日本
生年月日 1890年4月10日
没年月日 1970年2月16日(79歳没)
最終学歴 陸軍戸山学校卒業
職歴 陸軍戸山学校軍楽隊 三等楽長
活動期間 1928年 - 1939年
担当番組・活動
出演経歴ラジオ体操

江木 理一(えぎ りいち、1890年明治23年〉4月10日 - 1970年昭和45年〉2月16日[1][2])は日本の軍人NHKアナウンサー

ラジオ体操の初代担当アナウンサーとして知られている。

人物・エピソード

福島県棚倉町出身[1][3]陸軍戸山学校[1][2]。専門は軍楽で、フルート奏者だった[4]。母校・陸軍戸山学校軍楽隊の三等楽長少尉相当)だった1928年[5]昭和天皇御大典記念事業の新番組として『ラジオ体操』が企画[5]されると、指導者として声が良く体育にも明るい人物が求められ、江木が陸軍戸山学校長の推薦により抜擢された[3]社団法人日本放送協会(NHK)東京中央放送局(JOAK)に嘱託として迎えられ[4][5]、当初は年間2千円(当時の貨幣価値で1千万円以上に相当)という好待遇で契約を結んだ[3]。同期に橘内英次(旧姓・石母田)、薄田太郎、津島定一、三原登美(旧姓・河村)。

放送は1928年11月1日に開始され、ピアノ伴奏者は丹生健夫が務めた[5]。第1回放送時、江木はサーベルを下げた軍服姿で放送局に現れ、「気をつけ! ただ今からラジオ体操を始めます」という号令調の第一声をかけ、不評を買った。翌日からの江木は態度を改め、体操着姿でスタジオに入り、「皆さん、おはようございます」とにこやかに語りかけるように調子を変えた[4]。やがて定着した「全国の皆さーん、おはようございます。さあ、きょうも元気で、体操を始めていただきましょう」という独特の口調の号令は、国民に大人気となった。その「『日本全国、海外の皆々様……みんな一緒に……』」といった優しい呼びかけや無邪気さが人々の心を掴み、「一体どんな顔をしている男だろうと会ってみたくもなった」と言われるほどであった[6]。日々の簡単な言葉にも苦心していた様子がうかがえるが、それもまた「馬鹿に無邪気でよろしい」と好意的に受け止められ、機械的でない人間味(「肉の味」)が人々を惹きつけたと評されている[6]。体操自体の魅力に加え、江木の「明朗性」が揚声器を通じて電波に乗ったことが、大衆の心を掴んだ大きな要因であったと評されている[6]

号令をかけるだけでなく、実際にマイクの前で体操をしていた[7]。体操着姿がトレードマークだったが、一時期「照宮成子内親王もラジオ体操に御執心なり」と聞きおよび、燕尾服蝶ネクタイの正装で放送に臨んだことがあった。

江木は毎日必ず4時30分に起床し、5時ちょうどに牛込区南山伏町の自宅を出て、始発の都電でNHKに出勤した[4]。一度40度の高熱を押して出勤したことがあり、本番直前までスタジオで横になり、無事に本番を終えると、その場で倒れた[7]

1936年2月26日早朝の二・二六事件の発生時、愛宕山にあった放送局に出勤する江木の行く手を、決起部隊の兵士がさえぎった。江木が一言「ラジオ体操をやりに行くんだ」とだけ告げたところ、道が開けたとの逸話がある[8]

1939年4月末の引退まで約10年間、無欠勤で担当した[2][4]。ラジオ体操開始満10年を迎えた昭和13年には、その貢献は「十年一日の如し」と称えられ、十年余にわたる精励の功績は大きいと評された[6]。番組引退後は、長年にわたり、全国各地に巡回ラジオ体操に出かけ、ラジオ体操の普及につとめた[1]

1943年東京都議会議員選挙中野区から立候補して当選した[9]1947年第1回参議院議員通常選挙全国区から立候補したが落選した[10][11]

1953年ライオン株式会社が「はみがき体操」のレコードを改訂した際、号令と指揮の役で出演している。<https://www.lion.co.jp/ja/company/history/museum/04/02.php>

脚注

  1. ^ a b c d 江木 理一』 - コトバンク - 典拠は日外アソシエーツ『20世紀日本人名事典』。誕生日を7月13日としている。
  2. ^ a b c 江木理一』 - コトバンク - 典拠は講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』。誕生日を4月10日としている。
  3. ^ a b c 桑原稲敏『裏窓の昭和史 : 今となってはメルヘン』東京法経学院出版〈ライトブックス〉、1987年7月、p.33。
  4. ^ a b c d e 日本放送協会(編)『放送の五十年 昭和とともに』(日本放送出版協会、1977年)pp.40-42「ラジオ体操誕生」
  5. ^ a b c d 広瀬正和『ちょっと昭和史365 : 人・金・事件がみえてくる』ぎょうせい、1986年9月、p.99。
  6. ^ a b c d 日向米之助『時の人』東亜公論社、1940年、pp.65-66。
  7. ^ a b 松谷みよ子『現代民話考 8 ラジオ・テレビ局の笑いと怪談』(ちくま文庫、2003年)pp.270-271 - 典拠は和田信賢『放送ばなし』(青山商店出版部、1946年)。
  8. ^ NHK広報室「ご存知ですか ラジオ体操五十年」『都道府県展望』第8巻第239号、全国知事会、1978年8月、33頁。 
  9. ^ 中野区史 下巻1』東京都中野区、1944年、373頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3007620/203 
  10. ^ 新国会選挙大観』朝日新聞社、1947年、130頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438964/72 
  11. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年、539頁。 

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