江木衷とは? わかりやすく解説

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江木衷

法律家山口県生。東大法学部卒。伊藤博文知遇得て官界入り品川弥二郎内相秘書官などを務める。のちに弁護士となり東京弁護士会会長選ばれる。また詩文能くした。著に『刑法汎論』などがある。大正14年1925)歿、67才。

江木衷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/25 05:49 UTC 版)

江木 衷
人物情報
生誕 (1858-10-25) 1858年10月25日
日本山口県岩国市
死没 1925年4月8日(1925-04-08)(66歳没)
出身校 東京大学
学問
研究分野 法学
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江木 衷(えぎ まこと/ちゅう、1858年10月25日安政5年9月19日) - 1925年大正14年)4月8日)は、日本法学者弁護士

経歴

人物

  • 詩文をよくし、冷灰と号した[1]漢詩人の井土霊山は「自分が受け取つた手紙で先づ上手な手紙と思はるゝのは僅かに二本あつた、その一は犬養木堂先生の手紙で他の一は江木冷灰博士の手紙である」と記し、犬養毅の手紙と並べて彼の手紙を賞した[2]
  • 民法典論争で有名になった「民法出デテ忠孝亡ブ」の考案者は穂積八束ではなく江木衷だったと言われている[3]

家族・親族

  • 兄:江木千之
  • 妻:江木欣々
  • 養子:江木富夫。弟・江木精夫(軍人)の次男の江木富夫を養子に迎え、家督を継がせた[4]。富夫は東工輪業や天賞堂の社長などを務めた[4][5]

著書

  • 『法律解釈学』(1885年)
  • 『現行刑法汎論』(1887年)
  • 『現行刑法各論』(1888年)
  • 『日本民法財産篇 物権之部』(1890年)
  • 『日本民法財産篇 人権之部』(1891年)
  • 『現行刑法原論』(1892年)
  • 『民事訴訟原論』(1893年)
  • 『陪審制度談』(1911年)
  • 『冷灰全集』(1927年)

脚注

  1. ^ 江木衷『人事興信録. 4版』(人事興信所, 1915)
  2. ^ 井土靈山「惡札の裁判―木堂先生の屑籠埋葬―」『木堂雑誌』3号、1925、34-35頁.
  3. ^ 穂積陳重法窓夜話有斐閣、1916年、348頁
  4. ^ a b 江木富夫『人事興信録. 第14版 上』(人事興信所, 1943)
  5. ^ 江木富夫(えぎとみお)谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー

外部リンク



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