弁護人としての活動期
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1893年(明治26年)3月より江木衷と共に東京法学院で発行する法学新報の編集嘱託を受けた。1895年(明治28年)11月以来奥田義人、江木衷等と共に同院で発行にかかる行政裁判所判決録編集に従事した。同志と江湖倶楽部を組織し江湖と称した。 弁護士の業務に従事した。喜太郎が担当した名高い事件として、「足尾鉱毒事件」、「シーメンス事件」がある。また、関東大震災後の混乱に生じた本庄事件の裁判において、主任弁護士を務めたのも喜太郎であった。
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