小島範一郎とは? わかりやすく解説

小島範一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/27 09:53 UTC 版)

小島 範一郎(こじま はんいちろう、1852年嘉永5年) - 1910年(明治43年))は、明治期の司法官僚実業家正七位

経歴

広島藩士小島岩之進の長男。身体が虚弱であったため武術を修めたのち、広島藩学問所(現:修道中学校・高等学校)にて学び[1]、のちに学問所句読師も務めた。当時15歳で元服するところを13歳で元服している。医学門所を経て1873年(明治6年)慶應義塾に学ぶ。1873年(明治6年)広島県庁に入る。1877年(明治10年)司法省出仕を命ぜられ広島裁判所山口支庁で民事を担当。1880年(明治13年)興芸西社を興す。1886年(明治19年)広島県御調世羅郡長に就任。1891年(明治24年)兵庫県川辺郡長に就任し3年間務め病気のため辞職。1900年(明治33年)芸備立憲政友会幹事。その後実業界に転じ、大日本軌道取締役など数社の重役、広島市名誉参事会員、旧制修道中学校理事などを歴任した。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 修道中学校編「修道中学校史」1931年 28頁

参考文献

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小島範一郎」の関連用語

小島範一郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小島範一郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小島範一郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS