たなか‐こうたろう〔‐カウタラウ〕【田中耕太郎】
田中耕太郎
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田中 耕太郎(たなか こうたろう、1890年(明治23年)10月25日 - 1974年(昭和49年)3月1日)は、日本の法学者・法哲学者、裁判官。専門は商法。学位は法学博士。東京帝国大学法学部長、第1次吉田内閣文部大臣、第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事、日本学士院会員。日本法哲学会初代会長。文化勲章、勲一等旭日桐花大綬章を受章。大勲位菊花大綬章を没後叙勲[注釈 1]、正二位を追贈された。松本烝治に師事。弟子に山尾時三、伊沢孝平、西原寛一、鈴木竹雄、石井照久、矢沢惇など。
注釈
出典
- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員7頁
- ^ 『第一高等学校一覧(自昭和16年至昭和17年)(附録)』(第一高等学校編、1941年)146頁
- ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名104頁
- ^ 『官報』第5822号、昭和21年6月13日。
- ^ 山本祐司 1997a, p. 155
- ^ 野村二郎 2004, p. 26.
- ^ 『思想検事』(荻野富士夫、岩波新書、2000年9月) P194、P201
- ^ 『「米軍違憲」破棄へ米圧力 59年の砂川裁判 一審判決直後 解禁文書で判明 駐日大使 最高裁長官と密談』しんぶん赤旗
- ^ 『砂川裁判:米大使、最高裁長官と密談 破棄判決前に』毎日.jp 2008年4月30日
- ^ 最高裁長官「一審は誤り」 砂川事件、米大使に破棄を示唆 共同通信2013年1月17日
- ^ 砂川事件:米に公判日程漏らす 最高裁長官が上告審前(1/2) 毎日新聞2013年4月8日
- ^ 最高裁昭和34年12月16日大法廷判決
- ^ 『憲法判例百選II[第5版]』210事件有斐閣
- ^ 山本祐司 1997b, p. 425.
- ^ 野村二郎 2004, p. 27.
- ^ 砂川事件 再審請求 元被告ら「公平な裁判侵害」 東京新聞2014年6月17日
- ^ 九年の任期を終え帰国 田中耕太郎氏『朝日新聞』1970年(昭和45年)2月10日朝刊 12版 14面
- ^ 「筆洗」2013年4月10日付け
- ^ 第5回国会 参議院 本会議 第26号 昭和24年5月13日
- ^ 田中秀夫『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- ^ 植野勲『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 『飯守重任』 - コトバンク
- ^ 『田中角栄を殺すために記す: 人類を啓蒙する手段として』奥崎健三、サン書店、1981、p217
- ^ 家永三郎『裁判批判』、日本評論社、1959年11月、35-37ページ
- ^ 「裁判所時報」1952年1月1日所載の「新年の詞」
- ^ 故田中耕太郎氏に大勲位菊花大綬章『朝日新聞』1974年3月3日朝刊、13版、19面
- 1 田中耕太郎とは
- 2 田中耕太郎の概要
- 3 家族
- 4 主な著作・論文
- 5 脚注
田中耕太郎と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
東京大学の教員 | 大串和雄 原広司 田中耕太郎 城塚登 長神悟 |
日本の法学者 | 高窪利一 松本恒雄 田中耕太郎 植松正 井上孚麿 |
貴族院勅選議員 | 永山武四郎 藤村紫朗 田中耕太郎 秋山源兵衛 藤沼庄平 |
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日本の文部官僚 | 佐々木正峰 内田晋斎 田中耕太郎 阿部泰蔵 橋本伸哉 |
日本の最高裁判所裁判官 | 河村又介 藤林益三 田中耕太郎 竹崎博允 才口千晴 |
法哲学者 | ゲオルグ・イェリネック 菅野喜八郎 田中耕太郎 江木衷 イマヌエル・カント |
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