家永三郎による批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 05:15 UTC 版)
最高裁判所長官としての田中は、日本国憲法で規定されている裁判官の自由裁量権を侵害する職権乱用措置を行ったと家永三郎に批判されている。 前述の「雑音訓示」で、「我々裁判官としては世間の雑音に耳をかさず」云々と、一般市民による裁判批判の必要性を否定したが、訴訟外批判に耳をかすかかさないかなどは、日本国憲法76条により、裁判官の良心の自由に属するものであり、最高裁判所が指示するものではない。 1952年1月の全国刑事裁判官会同における訓示中で、「訴訟指揮に任ずる裁判官は、審理の円滑な進行に努力すべきこと勿論でありますが、摩擦波瀾を回避せんとするの余り、消極的退えい的態度に終始するがごときは裁判の目的達成を不可能ならしめるばかりでなく、延いては裁判の権威の甚しい失墜を招来するのであります」と述べたが、これは刑事訴訟法294条による訴訟指揮権の行使に事前指示を与えていることであり、司法行政監督権の濫用である。 「個人的論文」において、共産主義諸国を「国際的ギャング」と罵り、「国際的ギャング」に対抗しアメリカ等の諸国との連繋を固くする政治的信念をもつことこそ、裁判官に不可欠の条件であり、「これに対し信念を欠き、又懐疑的な者は裁判官として適当であるとはいえ」ず、「安んじてその地位に止まり得ないわけである」と放言した。これは、最高裁の再任指名権を暗示して、下級裁判所の裁判官を威嚇したものであり、裁判官に対する悪質な圧迫である。
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