家父長制に関する議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 18:23 UTC 版)
J・J・バッハオーフェンに始まる一連の文化人類学的議論からは、自ら産んだ子は必ず実子という女性の生物学的優位性と、それに対抗して父性を確保しようとする高等哺乳類の本能が、古今東西を問わず男女不均衡の社会を導いたとの指摘が挙がっている。 戦後の日本ではフランスを先進的な近代社会の典型とし、対して日本を遅れたものとする見方が支配的だったが、実態を無視していることから支持を失っている。特に1970年代以降、フランスの家族についての社会史・歴史人類学的研究が二宮宏之によって紹介され、南フランス山岳地帯においては、家産の一括承継を基本とする日本の家制度類似の社会実態が民法典施行後も存続したことが明らかにされている。 戦後の歴史学者・教育者の多くは日本の家父長制と儒教の関連を当然視するが根拠の無いステレオタイプだとの批判も強く、儒教思想が近世の社会一般に浸透した事実は無く(津田左右吉、青山道夫、柴桂子)、また男尊女卑の思想は日本で夫婦和合の思想に変質し、文字通りには受け止められていないと主張されている(渡辺浩、中村敏子、柴)。 家父長制度、父権制あるいはそれに準じる意識がDVの原因となっているとの主張がある。 神戸大学教授の平野光俊は、パターナリズムの一例として結婚・出産後の家事・育児への専念が女性の幸せだという固定観念と、出産後復職した女性は大変そうだから責任のある仕事はさせないという男性側の「優しさの勘違い」を挙げている。 ケイト・ミレットは父権制(patriarchy)について、あらゆる権力を男性が独占しているため、年長の男が年若い男を支配するのみならず、人口の半ばを占める女が残り半分の男に支配されていると主張している。
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