家父長制幻想としてのステラ・ダラス
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「ステラ・ダラス (1937年の映画)」の記事における「家父長制幻想としてのステラ・ダラス」の解説
カプランによれば『ステラ・ダラス』において観客が一貫して共感をおぼえ自己同一化するのは、主人公のステラである。ステラは労働階級の出身であって、結局のところ夫となったスティーブンが属する上流階級の好みや習慣についてゆくことができない。そしてスティーブンはステラから離れて、同じ階級に属する温厚で賢明・献身的な女性ヘレンとの再婚をえらぶが、ステラはその選択を歓迎する。 カプランはこうした作品の構造が、女性を含む観客を「自己犠牲的な母親」への共感に導かれるよう周到に組み立てられているとみなした。捨てられる妻/女というステラの境遇に観客が涙を流し、彼女の自己犠牲的な決断に感動するとき、カプランによれば、観客は実際にはステラという存在の否認に同調し、安定した裕福な家庭で生きる献身的な母親像を、女性としての正しい姿と認めているのである。 そこでカプランにおいて、路上で雨に打たれながら娘の結婚式をのぞき見るという感動的なラストシーンは、「家父長制における母親がどのようなものかを見事に表現している。それは多くのものを諦めること、つねに外部に位置すること、そしてそれを喜びと感じることなのだ」と結論づけられることになる。
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