田中耕太郎 (海軍軍人)とは? わかりやすく解説

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田中耕太郎 (海軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/07 19:22 UTC 版)

田中耕太郎

田中 耕太郎(たなか こうたろう、1868年4月18日慶応4年3月26日[1]) - 1939年昭和14年)11月9日[2])は、日本海軍軍人、最終階級は海軍中将

人物

丹波国多紀郡篠山(現在の兵庫県丹波篠山市)出身[3]1890年明治23年)、海軍兵学校を卒業。日清戦争では『扶桑』に乗り組み従軍した[3]1900年(明治33年)にロシアに留学を命じられ、その後軍令部に勤務した[2]1909年(明治42年)に在ロシア大使館附武官に就任[2]1914年大正3年)からは馬公要港部参謀長、海軍大学校教官、軍令部第三班課長を歴任した[2]1919年(大正8年)より浦塩派遣軍附となった[2]

海軍随一のロシア通であったが、帝政ロシアの没落とともに1923年(大正12年)に予備役に編入された[3]。その後、1928年(昭和3年)に後備役となり、1933年(昭和8年)に退役となった[2]

家族

長男・一穂の岳父に置塩章

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ 日本海軍将官辞典 2000.
  2. ^ a b c d e f 田中耕太郎中将遺稿「コルチャーク」高等統治官時代ノ西伯利亜政府 自昭和十五年三月」 アジア歴史資料センター Ref.B12080958900 
  3. ^ a b c 多紀、氷上人名鑑 pp.91-92 1933.
  4. ^ 官報』第3783号「叙任及辞令」1896年2月12日。
  5. ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
  6. ^ 『官報』第5337号「叙任及辞令」1901年4月22日。
  7. ^ 『官報』第6665号「叙任及辞令」1905年9月15日。
  8. ^ 『官報』第8202号「叙任及辞令」1910年10月22日
  9. ^ 『官報』第985号「叙任及辞令」1915年11月12日。
  10. ^ 『官報』第2509号「叙任及辞令」1920年12月11日。
  11. ^ 『官報』第3223号「叙任及辞令」1923年5月1日。
  12. ^ 『官報』第3889号・付録「辞令」1896年6月17日。p4
  13. ^ 『官報』第5651号「叙任及辞令」1902年5月9日。
  14. ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  15. ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。p2上段
  16. ^ 『官報』第1189号・付録「叙任及辞令」1916年7月18日。

参考文献




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