柴田利右エ門とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 柴田利右エ門の意味・解説 

柴田利右エ門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/01 00:20 UTC 版)

柴田 利右エ門(しばた りえもん、1916年大正5年)3月1日[1] - 1973年昭和48年)2月3日[2])は、昭和期の労働運動家、政治家参議院議員(1期)。

来歴

愛知県[2]、現在の名古屋市熱田区で生まれる[3]。1930年(昭和5年)名古屋市立熱田高等小学校を卒業した[2]

1930年、三菱航空機(現三菱重工業)名古屋製作所に入所[2][3]。1937年(昭和12年)に徴兵され日中戦争太平洋戦争に従軍した[3]

戦後、労働運動に加わり、1946年(昭和21年)三菱重工業名古屋機器製作所労働組合の結成に参画し副執行委員長に就任した[2][3]。以後、同執行委員長、新三菱重工労働組合副中央執行委員長、同中央執行委員長、三菱重工労働組合中央執行委員長、全日本労働総同盟副会長、全国民間労組委員長懇談会(全民懇)幹事、雇用審議会委員長などを務めた[2][3]

1971年(昭和46年)6月の第9回参議院議員通常選挙全国区民社党公認で立候補して当選したが[4]、1972年2月、議員在任中に死去し、参議院議員に1期在任した[2]。死没日をもって勲四等旭日小綬章追贈(勲七等からの昇叙)、従五位に叙される[5]

脚注

  1. ^ 『朝日年鑑』1972年版別冊。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』326頁。
  3. ^ a b c d e 「私たちの参院候補 組織内四候補の横顔」50-51頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』552頁。
  5. ^ 『官報』第13833号13頁 昭和48年2月6日号

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
  • 「私たちの参院候補 組織内四候補の横顔 / 栗林卓司 ; 柴田利右エ門 ; 中村利次 ; 藤井恒男」『同盟』149、全日本労働総同盟、1970年12月。
  • 『朝日年鑑』1972年版別冊、朝日新聞社、1972年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  柴田利右エ門のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「柴田利右エ門」の関連用語

柴田利右エ門のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



柴田利右エ門のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの柴田利右エ門 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS