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近藤忠孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:18 UTC 版)

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近藤忠孝
こんどう ただたか
こんどう ちゅうこう
生年月日 1932年4月2日
出生地 日本 東京都北区
没年月日 (2013-06-05) 2013年6月5日(81歳没)
出身校 旧東京都立大学人文学部卒業
(現東京都立大学)
前職 弁護士
現職 弁護士
所属政党 日本共産党

選挙区 (全国区→)
比例区
当選回数 3回
在任期間 1974年7月8日 - 1977年7月3日
1980年7月8日 - 1992年7月7日
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近藤 忠孝(こんどう ただたか/ちゅうこう、1932年4月2日 - 2013年6月5日)は日本弁護士政治家参議院議員日本共産党公認)を3期務めた。全国公害弁護団連絡会議初代幹事長。

来歴

1932年4月2日、東京都北区にて化学工場の労働者の子として生まれる[1]東京都立大学 (1949-2011)(現首都大学東京人文学部卒業後の1960年に日本共産党へ入党。1962年には弁護士を開業、黒田法律事務所(現東京法律事務所)へ入り各種労働事件の弁護を担当する[1]1965年青年法律家協会議長、1968年にはイタイイタイ病弁護団副団長に就き、裁判で全面勝訴を勝ち取る[1]。イタイイタイ病裁判では、「勝利するためには被害者のいる現地・富山で弁護士として活動することがどうしても必要」として、一家で当時居住していた東京都から富山へ移住しており[2]NHK歴史情報番組その時歴史が動いた 苦しむ患者を救いたい~イタイイタイ病裁判・弁護士たちの闘い~」(2007年3月7日放映)にゲスト出演し当時の状況を証言した[2]

1974年第10回参議院議員通常選挙全国区から出馬し初当選(このときは3年議員だった)、1992年の引退まで3期15年にわたり参議院議員を務めた。議員在職中は大蔵委員、公害・環境対策特別委員に属した。

京都弁護士会会員として、京都府京都市下京区に近藤忠孝法律税務事務所を開設していたが、2013年6月5日に肝硬変のため死去[3]

著書

脚注

  1. ^ a b c 中島晃「近藤忠孝団員の古希によせて」自由法曹団京都支部ウェブサイト
  2. ^ a b NHK「そのとき歴史が動いた」近藤忠孝元参院議員がゲスト出演 3月7日(水)午後10時、イタイイタイ病裁判京都民報ウェブサイト
  3. ^ 元参院議員・近藤忠孝さん死去 イタイイタイ病弁護団長 朝日新聞 2013年6月6日

参考文献




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