柄谷道一
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柄谷 道一(からたに みちかず、1924年11月19日 - 2001年10月11日)は、日本の政治家。参議院議員(2期、民社党)。
経歴
兵庫県神戸市出身。1942年国立拓南塾卒業。台湾拓殖に入社し、ジャワ島に勤務する。戦後、日東紡績に入り、同労組書記長、副委員長を務め、全繊同盟書記長、副会長などを歴任する。1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区から民社党公認で立候補して当選。2期務める。民社党では組織局長、中央執行委員、総務局長などを務めた。1986年の第14回参議院議員通常選挙では選挙区を兵庫県に移したが落選した。1995年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章[1]。2001年10月11日、胆嚢癌のため死去、76歳[2]。死没日をもって従四位に叙される[3]。
脚注
- ^ 新訂 政治家人名事典 明治~昭和. “柄谷 道一”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2022年12月24日閲覧。
- ^ “訃報”. 産経新聞. (2001年10月12日). オリジナルの2002年1月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20020120024445/http://www.sankei.co.jp/databox/paper/0110/12/paper/today/dead/12dea005.htm 2022年12月24日閲覧。
- ^ 『官報』第3239号9-10頁 平成13年11月9日号
参考文献
- 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
第1回 (定数100) |
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†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。 |
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