吉田萬次
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吉田 萬次(よしだ まんじ、1892年(明治25年)3月2日[1] - 1958年(昭和33年)12月21日[1])は、日本の政治家、医師。参議院議員(1期)、愛知県会議員(3期)、一宮市長(2期)、一宮市会議員(4期)。
注釈
- ^ 1951年愛知県知事選の決選投票における一宮市内の票数は以下のとおり。吉田:32,747票、桑原:1,534票。
- ^ 知事選に関して次のような一宮市民の証言が残っている。同市本町の自営業の女性は「みんな手弁当で町内こぞって吉田さんを応援しました。私は一宮の事務所でお勝手や旗づくりの手伝いをしましたが、男の衆は大勢で名古屋の方へ出かけて、あんなににぎやかな選挙はなかった」と述べ、別のある市民は「町どころか一宮中が総動員された。みんな頭に血がのぼってしまって、商売そっちのけですよ。決選になった時など、尾張から知事を出したい一心で、しまいには雨が降るのもかまわず広小路で地べたにすわって、みんなで『お願いします』とおじぎをした。今から思うと精神状態がおかしかったかもしれん。しかし、私利私欲を忘れた、あんな選挙はもう再現できんでしょう」と述べた[9]。
出典
- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、239頁。
- ^ a b 『日本の歴代市長 第二巻』歴代知事編纂会、1984年11月10日、468頁。
- ^ 参議院会議録情報 第31回国会 本会議 第6号
- ^ 『愛知県議会史 第八巻』愛知県議会、1971年3月30日、344頁。
- ^ “歴代正副議長一覧” (PDF). 愛知県議会 (2018年5月25日). 2019年3月14日閲覧。
- ^ 桑原幹根 『桑原幹根回顧録 知事二十五年』毎日新聞社、1979年2月1日、109-111頁。
- ^ 桑原幹根 『桑原幹根回顧録 知事二十五年』毎日新聞社、1979年2月1日、112頁。
- ^ 『中日新聞』1991年1月6日付朝刊、県内版、16面、「あいち知事選物語 (5) 決選投票 大混戦・・・3670票差 “奇跡の中村区” 桑原氏が逆転勝ち」。
- ^ 桑原幹根 『桑原幹根回顧録 知事二十五年』毎日新聞社、1979年2月1日、100-101頁。
- ^ 『朝日新聞』1958年10月27日付夕刊、東京版、1面。
- ^ 『朝日新聞』1958年12月22日付朝刊、東京版、9面。
- ^ “一宮市名誉市民”. 一宮市役所 (2017年9月13日). 2019年3月14日閲覧。
- ^ 『官報』第9605号585頁 昭和33年12月25日号
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