瓜生清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/26 16:49 UTC 版)
瓜生 清(うりう きよし、1920年(大正9年)10月26日[1] - 1970年(昭和45年)11月9日[2][3])は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。
経歴
大阪府出身[2][3][注 1]。1942年(昭和17年)関西大学専門部を卒業した[2][3]。兵役に従事[2]。
復員後、織布会社に入社[2][3]。1949年(昭和24年)労働運動に加わり主に繊維産業対策に従事[2][3]。大阪府地方労働委員、社会保障診療報酬支払基金理事、社会保障制度審議会(現社会保障審議会)委員などを務めた[2][3]。
1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙で全国区に民主社会党(民社党)公認で立候補して当選[2][4]。民社党中央執行委員、同党選挙対策委員長、全国繊維産業労働組合同盟(のちゼンセン同盟)顧問などを務めた[2][3]。
議院在職中の1970年(昭和45年)11月9日[3]、食道静脈瘤破裂のため死去した。50歳没。翌10日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって従四位勲三等に叙され、旭日中綬章を追贈された[5]。葬儀、告別式は同月18日、青山葬儀所で民社党、全繊同盟の合同葬として行われた[6]。哀悼演説は同月24日、参議院本会議で栗原祐幸により行われた[7]。
脚注
[脚注の使い方]
注釈
- ^ 『大阪紳士録』178頁では出生地を「福岡県直方市」と記載。
出典
参考文献
- 大阪図書出版編『大阪紳士録 第1版』大阪図書出版、1959年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
- 瓜生清のページへのリンク