土田國太郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 土田國太郎の意味・解説 

土田國太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 00:25 UTC 版)

土田 國太郎(つちだ くにたろう、1889年明治22年〉6月28日[1] - 1960年昭和35年〉3月26日[2][3])は、日本醸造家政治家参議院議員(1期)。

経歴

群馬県利根郡川場村立岩に生まれる[2][4][5]。父・茂八は新潟県の生まれで川場村に移住し貸蔵で酒造業を営んでいた[2][5]

國太郎は群馬県立前橋中学校利根分校(のち旧制群馬県立沼田中学校、現群馬県立沼田高等学校)を卒業したのち[3][4][6]1912年大正元年)より沼田町(現沼田市下之町で酒造りを始める[5]1923年(大正12年)、同町の酒蔵を買い入れて土田酒造を創業、「譽之國光」の銘板の日本酒の醸造を開始[4][5]。これが地酒の銘酒として県内外から称賛を浴びるようになる(のちに現名の「譽國光」(ほまれこっこう)に改名)[4][5]1932年(昭和7年)より群馬県酒造組合連合会長を8期務める[4][5]

前後して政治の世界にも進出し、1921年(大正10年)4月から1937年(昭和12年)までの4期16年沼田町会議員[3][5]1953年(昭和28年)の第3回参議院議員通常選挙では酒造業界から推され全国区から無所属で出馬して当選[7]、1期6年務めた。1956年(昭和31年)春の褒章で永年、酒造業に携わって技術改良に努め関係団体要職に就いて業界の発展に寄与したとして藍綬褒章受章[8][2][4][5]1947年(昭和22年)より沼田商工会議所会頭[4][5]、政界引退後も日本酒造組合中央会会長などを歴任した[3][2][4][5]

1960年(昭和35年)3月26日死去、70歳。死没日をもって勲四等瑞宝章追贈、正五位に叙される[9]。子はなく弟が2代目國太郎を襲名した[2]

脚注

  1. ^ 『大衆人事録 第19版 東日本篇』344頁。
  2. ^ a b c d e f 岸大洞; 五十嵐富夫; 唐沢定市『群馬県人国記』 利根・沼田・吾妻の巻、歴史図書社、1979年、152-153頁。doi:10.11501/12260349 (要登録)
  3. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』271頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年11月1日、346頁。doi:10.11501/12189010 (要登録)
  5. ^ a b c d e f g h i j 高山正『利根沼田の人物伝』上毛新聞社、2018年3月26日、90-91頁。ISBN 978-4-86352-205-3 
  6. ^ 『群馬新百科事典』上毛新聞社、2008年3月20日、529頁。 ISBN 978-4-88058-988-6 
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』543頁。
  8. ^ 『官報』第8804号175-178頁 昭和31年5月7日号
  9. ^ 『官報』第9984号61頁 昭和35年4月4日号

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第19版 東日本篇』帝国秘密探偵社、1956年。
  • 衆議院参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
  • 高山正『利根沼田の人物伝』上毛新聞社刊、2018年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  土田國太郎のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「土田國太郎」の関連用語

土田國太郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



土田國太郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの土田國太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS