砂川事件
別名:砂川紛争
1955年から始まった、東京都砂川町の米軍立川基地拡張に対する反対運動をめぐる事件。中でも1957年、特別調達庁東京調達局による基地拡張のため、測量が実施されたことで、基地に反対するデモ隊の数人がアメリカ軍基地内に入ったとして、起訴された事件を指す。
第一審で東京地方裁判所の伊達秋雄裁判長は、アメリカ軍の駐留許可が日本国憲法9条に反するとし、刑罰は法律に基づくべきだという日本国憲法31条に違反するとして、基地に侵入した全員を無罪にした。
第一審の判決を受け、検察側は上告。最高裁はアメリカ軍の駐在は日本国憲法9条の自衛権の範囲内であるとし、原判決を破棄した。最高裁判決を受けて、東京地裁の再審では有罪とされた。一連の砂川事件は、その後の安保闘争などに大きな影響を与えたとされている。
2013年4月8日の毎日新聞の記事によると、当時の田中耕太郎最高裁長官が上告公判前に、アメリカに対して公判日程などを事前に密告していたことが秘密文書から判明した。当時の日本の司法が偏向していたことを示すものだという見解を示す専門家もいる。
関連サイト:
砂川事件:米に公判日程漏らす 最高裁長官が上告審前 - 毎日jp
すながわ‐じけん〔すながは‐〕【砂川事件】
砂川事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/23 13:33 UTC 版)
砂川事件(すながわじけん)は、東京都北多摩郡砂川町(現・立川市)付近にあった在日米軍立川飛行場の拡張を巡る闘争(砂川闘争)における一連の訴訟である。特に、1957年(昭和32年)7月8日に特別調達庁東京調達局が強制測量をした際に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数メートル立ち入ったとして、デモ隊のうち7名が日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(現在の地位協定の前身)違反で起訴された事件を指す[1]。
注釈
出典
- ^ a b c “砂川事件(すながわじけん)とは”. コトバンク. 2020年3月30日閲覧。
- ^ “「米軍違憲」破棄へ圧力 砂川事件、公文書で判明”. 47NEWS (共同通信社). (2008年4月29日) 2009年2月2日閲覧。
- ^ 野口由紀 (2009年5月9日). “砂川裁判:米大使との密談、最高裁など「不開示」--「記録なし」”. 毎日新聞(ウェブ魚拓) 2009年5月11日閲覧。
- ^ 野口由紀 (2010年4月3日). “「伊達判決」直後、日米密談の文書存在 外務省が一転開示”. 毎日新聞(ウェブ魚拓) 2010年4月3日閲覧。
- ^ 元被告ら“米工作”開示文書公表 砂川事件 共同通信2010年4月8日[リンク切れ]
- ^ 最高裁長官「一審は誤り」 砂川事件、米大使に破棄を示唆 共同通信2013年1月17日
- ^ 砂川事件:米に公判日程漏らす 最高裁長官が上告審前 毎日新聞2013年4月8日
- ^ 澤藤統一郎の憲法日記「アメリカ産の砂川事件大法廷判決」 日本民主法律家協会
- ^ 砂川事件:米に公判日程漏らす 最高裁長官が上告審前(1/2) 毎日新聞2013年4月8日
- ^ 本判決全文 裁判所 2014年8月17日閲覧
- ^ 『憲法判例百選II[第5版]』210事件有斐閣
- ^ 砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」―どこが「主権回復」なのか 水島朝穂ホームページ『平和憲法のメッセージ』「今週の直言」2013年4月15日
- ^ “集団的自衛権の行使容認をめぐる国会論議 ―憲法解釈の変更と事態対処法制の改正―”. 参議院. 2020年6月2日閲覧。
- ^ a b c d 最高裁判例情報 (PDF)
- ^ a b 野中俊彦ほか『憲法I(第5版)』
- ^ 【私説・論説室から】 東京新聞、2015年3月30日
- ^ a b “安保法案、合憲巡る与野党の論点は”. 日本経済新聞. (2015年3月13日) 2015年6月12日閲覧。
- ^ “「必要最小限の集団的自衛権は矛盾」柳沢協二氏”. 朝日新聞. (2014年4月10日) 2015年6月12日閲覧。
- ^ a b c d “合憲説明、政府ちぐはぐ 閣僚ら釈明相次ぐ”. 朝日新聞. (2014年6月11日) 2015年6月12日閲覧。
- ^ 「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書 (PDF, 655KB) , p. 5. 2014年8月17日閲覧
- ^ 『臨時閣議及び閣僚懇談会議事録』平成26年7月1日 (PDF, 215KB) 2014年8月17日閲覧
- ^ a b c “自民・高村氏「違憲批判あたらず」 衆院憲法審査会で与野党論戦”. 日本経済新聞. (2014年6月11日) 2015年6月12日閲覧。
- ^ 砂川事件元被告ら4人が再審請求 「集団的自衛権容認に抗議」 共同通信2014年6月17日
- ^ 砂川事件、元被告らの再審請求棄却…東京地裁 読売新聞 2016年03月08日
- ^ 砂川事件 抗告を棄却 東京高裁「『正義』免訴にならず」毎日新聞 2017年11月15日
- ^ 砂川事件、最高裁も再審認めず 元被告らの特別抗告棄却 朝日新聞 2018年7月19日
- ^ 再審認めない判断に怒り 元被告が会見毎日新聞 2018年7月20日
- ^ “「砂川事件」めぐる国賠請求、東京地裁は棄却 元学生らの「公平な裁判の権利侵害」訴えを退ける”. 東京新聞. (2024年1月15日) 2024年1月16日閲覧。
砂川事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 07:35 UTC 版)
詳細は「砂川事件」を参照 1959年(昭和34年)12月16日、最高裁判所大法廷判決(この判決が示されるに当たり、アメリカの圧力があった事が判明している) 憲法9条はわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定していない。 憲法9条はわが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを何ら否定していない 憲法9条2項にいう「戦力」とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使する戦力をいう 外国の軍隊は憲法9条2項にいう「戦力」に該当しない (旧)日米安全保障条約は憲法9条に一見極めて明白に違反するということはできない
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砂川事件
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1957年6月27日に強制測量が行われ、7月8日、測量阻止のデモ隊の一部が立ち入り禁止の境界柵を壊し基地内に数メートル立ち入ったとして、9月22日に学生や労働組合員23人が検挙され、うち7人が日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反の罪に問われ起訴された(砂川事件)。一審では、1959年3月30日に米軍駐留は憲法違反であり被告全員無罪との判断が示されたが(伊達判決)、同年12月16日、上告審で最高裁判所が統治行為論によって原判決を破棄したことから、逆転して1963年12月25日に7人の有罪が確定した。 「砂川事件」も参照 2008年以降の研究により、伊達判決を早期に破棄させるため日米両国政府間で秘密協議がされていたことが明らかになっている。 「田中耕太郎」も参照
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砂川事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:29 UTC 版)
詳細は「砂川事件」を参照 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約を「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」に改定する為の協議が進むなか、砂川事件に関連して在日米軍を違憲とする判決が言い渡された(伊達判決)。これに対して、検察は極めて異例な跳躍上告を行い、最高裁は新条約締結の1カ月前に逆転判決を出した。これらのことから、検察と最高裁への政治的圧力が疑われた。
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