60年安保闘争の経緯
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1959年(昭和34年) 3月 - 日本社会党、日本労働組合総評議会(総評)、原水爆禁止国民会議(原水禁)などが安保条約改定阻止国民会議を結成。 3月30日 - 東京地裁で日米安保条約に基づくアメリカ軍の駐留を憲法違反とする判決(砂川事件・伊達判決)。 10月 - 社会党の西尾末広が改定阻止国民会議に反対を表明し離党。 11月 - デモ隊が国会構内に乱入。 12月16日 - 田中耕太郎・最高裁判所長官、砂川事件の跳躍上告を受けて伊達判決を統治行為論を唱えて破棄。一審にまで差し戻す。 1960年(昭和35年) 1月19日 - 日米政府間で条約調印。 1月24日 - 西尾らが民主社会党を結成する。 4月 - 全学連が警官隊と衝突。 5月20日 - 衆議院で強行採決。以降、連日デモ隊が国会を囲む。 6月11日 - ハガチー事件(ホワイトハウス報道官が来日するが、羽田でデモ隊に包囲されヘリコプターで脱出)。 6月15日 - 全学連と警察隊の衝突で、大学生の樺美智子が死亡。 6月17日 - 在京新聞7社が共同声明でデモ隊の暴力を批判、社会党に国会審議復帰を呼びかける(安保報道)。 6月19日 - 条約が自然成立(23日に発効)。 6月23日 - 新安保条約の批准書の交換、全手続きを終了。岸内閣、総辞職を表明する。 7月14日 - 自由民主党総裁選挙。池田勇人を自民党第4代総裁に選出。岸首相が暴漢に襲われ重傷を負う。 7月15日 - 内閣総辞職。 7月19日 - 池田、内閣総理大臣に就任。第1次池田内閣が発足。 10月12日 - 浅沼稲次郎日本社会党委員長が右翼の少年の山口二矢(当時17歳)に暗殺される。 11月20日 - 11月20日第29回衆議院議員総選挙。自民党が議席を増やす。
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