山口二矢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 08:13 UTC 版)
山口 二矢(やまぐち おとや、1943年(昭和18年)2月22日 - 1960年(昭和35年)11月2日)は、1960年(昭和35年)10月12日に発生した浅沼稲次郎暗殺事件の実行犯。
- ^ a b c d 『沢木耕太郎ノンフィクションⅦ1960』沢木耕太郎、文藝春秋、2004、p247-253
- ^ 『暗殺者: 謀略の戦後史』麻生良方、広済堂出版, 1975、p246
- ^ 『沢木耕太郎ノンフィクションⅦ1960』沢木耕太郎、文藝春秋、2004、p261
- ^ 短刀を持って政治家を刺殺…「必ず相手の腹を刺すことができると思った」政治テロ犯の“17歳少年”、異例の“実名報道”がされたワケ川名壮志、文春オンライン、2022/10/22
- ^ 『沢木耕太郎ノンフィクションⅦ1960』沢木耕太郎、文藝春秋、2004、p238-239
- ^ 10月のこの日小林康昭 201701021、早稲田大学校友会練馬稲門会
- ^ プロフィール比較広告資料館
- ^ 『戦後文学の作家たち』千頭剛、関西書院, 1995, p90
- ^ 少年法では家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき、犯した罪により公訴を提起された者の実名報道を禁止しているだけで逮捕者や指名手配者の実名報道を禁止していない。山口は逮捕はされたが、家裁審判に付されたり公訴提起されたりしていないため、厳密に言えば少年法の実名報道禁止規定には抵触していない。
- ^ 一部で「血書」とされているが誤りである。
- ^ a b 山口二矢烈士墓参 - 大日本愛国党(2015年11月2日付)2017年11月1日 (水) 閲覧。
- ^ 出典文藝春秋第 56 巻、第 3~5号、1978年
- ^ 出典:沢木耕太郎「テロルの決算(P.302)」文春文庫、1978)より
- ^ 「学生とのティーチ・イン」、ちくま文庫の「文化防衛論」に収録。p.206 ISBN 4-480-42283-8
- ^ 発表直後に抗議を受けて『文學界』1961年3月号に謝罪広告が掲載される事態となり、公式には2018年の『大江健三郎全小説 3』まで一度も単行本に再録されたことがなかった。なお、非公式には『スキャンダル大戦争2』(鹿砦社)などに再録されたことがある。
- ^ 小谷野敦『江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学』筑摩書房
[続きの解説]
固有名詞の分類
- 山口二矢のページへのリンク