けいさつ‐よびたい【警察予備隊】
【警察予備隊】(けいさつよびたい)
Reserved Police.
第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)、日本政府が「国内の治安維持」を目的として設立した武装組織(準軍事組織)。
当初は内閣直属の「警察軍(国家憲兵)」という位置付けとなっていたため、初期採用における入隊試験には警察官と同様「指紋採取」などの項目があった。
1951年、山口県での台風被害に際して災害派遣を行い、以後の災害派遣の前例となっている。
1952年10月に「保安隊」へ改編、さらに1954年に陸上自衛隊へと改編された。
設立の主目的は、朝鮮戦争へ在日米軍が派兵されたことで生じる日本の軍事的空白を埋め合わせる事であり、法制度を整える時間的余裕はなかった。
このため憲法解釈等を半ば無視して強引に設立されており、今日の自衛隊に至るまで様々な政治的禍根を残している。
装備類の調達も不十分であったため、当初は訓練さえ思うように行えない状態であったという。
組織構成の概要
隊員の階級
警察予備隊の隊員(警察官)の階級は次表のとおりであった。
参考に、現在の陸上自衛隊における自衛官及び旧日本陸軍の階級との対比も示す。
余談
近年、ネット上(主に一部のブログ)で、2000年代以降にアメリカ軍の攻撃で在来政権が崩壊したアフガニスタンやイラクなどで、親米派政権によって作られた軽武装の治安維持組織を(かつての日本での経緯になぞらえて)「警察予備隊」と呼称しているものが散見されているという。
警察予備隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 23:43 UTC 版)
警察予備隊(けいさつよびたい、英語表記:Japan Police Reserve Corps(JPR)又は、National Police Reserve(NPR))は、日本において1950年(昭和25年)8月10日にGHQのポツダム政令の一つである「警察予備隊令」(昭和25年政令第260号)[1]により設置された準軍事組織。1952年(昭和27年)10月15日に保安隊(現在の陸上自衛隊)に改組された。
- ^ “警察予備隊令(昭和25年政令第260号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1950年8月10日). 2023年8月20日閲覧。
- ^ 昭和25年7月8日付吉田内閣総理大臣宛連合国軍最高司令官書簡国立公文書館、2024年5月23日閲覧。
- ^ 読売新聞戦後史班 2015, pp. 85–90.
- ^ a b c d 渡辺 & 植村 2007.
- ^ a b c d 葛原 2006.
- ^ 読売新聞戦後史班 2015, pp. 380–413.
- ^ “CIA files reveal militarist plot to kill Yoshida in ’52”. Japan Times. (2007年2月28日) 2013年12月25日閲覧。
- ^ CIA Records - Name Files
- ^ 有馬 2010, pp. 96–140.
- ^ 永野 2003, p. 190.
- ^ 坂本 2014, p. 257.
- ^ 「死傷は千五百余名 惨状の村に予備隊到着」『朝日新聞』昭和26年10月22日
- ^ 保安庁法(昭和27年法律第265号)昭和27年7月31日公布、衆議院制定法律一覧
- ^ a b c 月刊PANZER 1998年4月号125頁 株式会社アルゴノート。
- 1 警察予備隊とは
- 2 警察予備隊の概要
- 3 脚注
- 4 外部リンク
警察予備隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 21:10 UTC 版)
1952年(昭和27年)7月30日:警察予備隊総隊武器学校が立川駐屯地から移駐開始。 9月15日:総隊武器学校主力が移駐。 9月25日:総隊武器学校土浦移駐開庁式。
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警察予備隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 22:57 UTC 版)
1950年(昭和25年)10月12日:警察予備隊発足に伴い、警察予備隊大津野キャンプ(隊員約1,000名)開設。司令官はアメリカ陸軍J.S.モーリス中佐。 11月4日:警察予備隊大津野訓練所入隊式挙行。 12月:モーリス中佐から大門駅に陸橋新設の陳情があった。 1951年(昭和26年):旧海軍航空隊時代の航空機格納庫の鉄骨を、日本専売公社岡山地方局倉敷葉煙草再乾燥場新営工事を請け負った建設省中国四国地方建設局へ払い下げ。新規鉄骨を使用すると予算不足を来す上、格納庫が駐屯地中央に位置するため、隊員の訓練上支障となっていたが、格納庫が構造的にも材料数量の上からも、上目的を達成することができた。5月1日:警察予備隊第7連隊第2大隊が編成完結。 1952年(昭和27年)1月19日:第7連隊第2大隊が水島駐屯地に移駐。 1月24日:長崎県針尾駐屯地から警察予備隊第823救急病院が移駐。
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警察予備隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 06:36 UTC 版)
1950年に日本の武装組織として、警察予備隊が設立された。戦略単位として4個管区隊が設けられ、各管区隊は、原則3個普通科連隊、1個特科連隊からなるとの規定であった。普通科連隊は本部、本部附中隊および3個大隊からなり、特科連隊は本部、本部附中隊および野戦砲6門から成る射撃中隊3個で編成される大隊4個(軽砲大隊3個および中砲大隊1個)と高射大隊1個 からなっていた。連隊長には、一等警察正または二等警察正の階級があてられた。
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「警察予備隊」の例文・使い方・用例・文例
- 警察予備隊という警察機関
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