さいがい‐はけん【災害派遣】
災害派遣
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災害派遣(さいがいはけん)とは、地震、水害その他の自然災害、人命又は財産の保護のため必要がある災害や事故等の発生に際し、地方公共団体、消防、警察などの能力だけでは対処しきれない事態において陸海空自衛隊の部隊を派遣し、救助活動・予防活動などの救援活動を行うことである[1]。自衛隊において、防衛出動および治安出動に並ぶ重要な任務のひとつとされる。「災派(さいは)」と略称されることもある。
注釈
- ^ 家畜伝染病予防法においては、狂犬病・口蹄疫・鳥インフルエンザ・馬伝染性貧血などの一部の疾病について、致死率・伝染性の高さ、人獣間感染のリスク、感染拡大時の経済的悪影響の甚大さへの考慮などの観点から、伝染拡大を阻止する事を目的に、感染が確定した患畜について、緊急の殺処分や死骸の焼却・埋設を行うことを定めている(第21条など)。
- ^ 実際の事例としては1960年に発生した谷川岳宙吊り遺体収容事件が有名。遭難者はザイルで宙吊りになり死亡、遺体が収容困難な状況であることから自衛隊の出動が要請され、狙撃部隊が出動。ザイルを狙撃して切断し、遺体を落下させることで収容した。この際には小銃・カービン銃などの銃器と約1300発の銃弾が使用されている
- ^ 但し実際には震災直後における原発周囲の地盤の関係上その重量から任務遂行は困難として待機のみである
- ^ 災害派遣とは確認できていないが、有害鳥獣駆除として1960年代には漁業被害に悩む漁民の要請から、トドを駆除するために航空自衛隊のF-86が出動し、実弾による機銃掃射が行われている。また、火器を用いてクマの駆除協力を行って事例がある[10]。
- ^ 空港事務所長名義の災害派遣のほとんどは、墜落機の救助捜索であり、その際は東京空港事務所長名義で実施される。これは、東京空港事務所に国際民間航空条約第12附属書に基づく「東京救難調整本部」が置かれているためである。東京空港事務所長名義以外で実施された例として、2011年7月15日および同年12月8日に、宮崎空港敷地内において発見された不発弾の処理にあたり、宮崎空港事務所長名義で災害派遣要請が出された案件がある。
- ^ ただし、要請を待つことなく派遣を行った場合は、努めて事後に都道府県知事等の災害派遣要請文書の受理の措置を行う。
- ^ 休暇などで不在の間は留守の間職務代行を命ぜられた幕僚長、総監部当直幕僚などが事後承認で命令を出す場合もある。
- ^ 休暇、休日などで司令たる部隊長が不在する場合は、同一駐屯地に所在する部隊長のうち最先任者または留守を預かる司令職担任部隊の副隊長・駐屯地業務隊長もしくは駐屯地当直司令がその任を代行する場合もある。駐屯部隊長が不在で駐屯地当直司令が派遣命令を出した場合、速やかに駐屯地司令への報告と事後承認を必要とする。
- ^ 雲仙普賢岳の火砕流発生による警戒監視を目的とした74式戦車の派遣例や、有珠山噴火時住民救出の為に73式装甲車や96式自走120mm迫撃砲の砲身を外して内部を広くし人員輸送を可能にした状況下での派遣などの実績がある。
- ^ 但し、災害派遣である事を車両に提示しておかなければならず、そういった処置がされない場合は隊員による実費負担となる。日付・時間・区間と車種・料金がはっきりと分かる領収書を部隊に示さなければならず、提出が無ければ会計隊へ部隊長名での請求は出来ない。
- ^ 平成14年8月30日に和解により支払いが確定した[28]。
- ^ 2010年日本APECでは、対NBC兵器防衛を行う第1師団第1特殊武器防護隊が、起きていない“災害”に対応するため会場近くに派遣されたことが確認されている[34]。
出典
- ^ a b 自衛隊法第83条
- ^ “統合運用について”. 日本国防衛省 (2010年3月). 2017年6月10日閲覧。 (治安出動や海上警備行動と同列の地位にある)
- ^ a b “防衛省・自衛隊の災害対策について” (PDF). 第7回大規模水害対策に関する専門調査会資料. 防衛省、国民保護・災害対策室 (2007年11月27日). 2020年2月3日閲覧。
- ^ 自衛隊法第94条により、警察官職務執行法第4条および第6条第1項、同第3項、同第4項が準用される形で法的に認められている
- ^ 災害派遣などにおける待機体制 - 防衛省
- ^ “医療ひっ迫 旭川市が北海道に自衛隊の看護師派遣要請を依頼へ”. NHK
- ^ 中村悌次『生涯海軍士官 戦後日本と海上自衛隊』中央公論社、2009年、319-326頁。ISBN 978-4-12-004006-1。
- ^ “自衛隊、福島第1原発周辺に戦車2両 がれき撤去へ”. 日本経済新聞
- ^ “石破茂・元防衛相「シン・ゴジラ」“防衛出動”苦言の真相を語る”. 週刊朝日. dot.ドット (朝日新聞出版): p. 1
- ^ 石動 竜仁 (2023年2月4日). “「戦車が2両。部隊は完全武装し…」ベテラン猟師を殺した“凶悪ヒグマ”の駆除に自衛隊が立てた作戦とは”. 文春オンライン. 2023年5月6日閲覧。
- ^ 自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)第105条
- ^ 災害対策基本法第六十八条の二
- ^ a b 自衛隊の災害派遣に関する訓令(昭和55年防衛庁訓令第28号)最終改正:2021年(令和3年)4月19日、防衛省情報検索サービス。 (PDF)
- ^ 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に対する大規模震災災害派遣の実施に関する自衛隊行動命令(自行災命第3号)
- ^ 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に対する大規模震災災害派遣の実施に関する自衛隊行動命令(自行災命第6号)
- ^ a b 河野太郎 [@konotarogomame] (2020年1月31日). "命令の概要は、新型コロナウイルス感染症対策本部の方針を踏まえ、同感染症の感染拡大の防止が、特に緊急を要し、都道府県知事等の要請を待ついとまがないと認められることから、自衛隊法第83条第2項に規定する災害派遣により、感染症拡大の影響により帰国した邦人等に対し、救援活動を実施せよ。". X(旧Twitter)より2023年9月19日閲覧。
- ^ a b “新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のための帰国邦人等の救援に係る災害派遣の実施について” (PDF). 防衛省・自衛隊 (2020年1月31日). 2020年1月31日閲覧。
- ^ a b “【鳥取で震度6弱】自衛隊機、被災地に自主派遣”. 産経ニュース. (2016年10月21日)
- ^ “東日本大震災、原発派遣自衛官手当は4万2000円”. 毎日jp. (2011年6月24日)
- ^ 参議院内閣委員会(昭和27年7月24日)大橋武夫国務大臣答弁。
- ^ 自衛隊の災害派遣に関する達(平成30年自衛隊統合達第11号)
- ^ 参考 西部方面隊
- ^ 飯山市への自衛隊災害派遣について[リンク切れ]長野県
- ^ 防衛省「災害派遣について 初動対処部隊の名称の付与について」
- ^ “災害派遣の初動部隊 FAST-Forceはどう動く? 北海道地震に見る事例”. 乗りものニュース
- ^ “自衛隊が初動対処部隊や戦闘機など派遣”. 産経新聞. (2016年4月14日) 2016年4月15日閲覧。
- ^ “装甲車も投入、550人体制で捜索…御嶽山噴火”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2014年9月28日) 2014年9月29日閲覧。
- ^ ナホトカ号油流出事故における油濁損害賠償等請求事件に係る訴訟の和解について 国土交通省
- ^ “「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」の概要”. 防衛省. 2010年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 丸尾雄一『公益的安全保障 国民と自衛隊』大学図書 2006年2月20日 p175-185
- ^ 参議院災害対策特別委員会、第134回国会会議録
- ^ 朝雲新聞社『波乱の半世紀 陸上自衛隊の50年』p224 大森寛証言
- ^ 岡本篤尚「自衛隊の災害救援活動をどう考えるべきか」『法学セミナー』1996年4月
- ^ APEC開催中の自衛隊出動に対して神奈川県知事あてに抗議申し入れ(アジア連帯講座)
- ^ 『【口蹄疫】知られざる自衛隊の苦闘 陸自第43普通科連隊長が語る』(プレスリリース)産経新聞、2010年7月30日 。2010年7月31日閲覧。
- ^ メンタルヘルス(防衛省)
- ^ 自衛隊員のメンタルヘルスに関する提言の要旨(防衛庁 平成12年10月6日)
- ^ 「エリートフォーセス 陸上自衛隊編[Part1]」ホビージャパン、pp.154-155
- ^ 防衛省・自衛隊:防衛白書
災害派遣
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災害派遣
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マリアナ派遣マリアナ海域漁船集団遭難事件 1965年(昭和40年)10月7日、マリアナ諸島アグリハン島沖に避泊していた日本の漁船団が台風第29号の直撃を受けて、座礁及び沈没した船各1隻、死者1名が確認されたが、残りの漁船5隻と遭難した乗員251名中208名が行方不明になった。9日夜の海上保安庁長官の要請を受けて、海上自衛隊は護衛艦4隻と給油艦1隻を派遣するとともに、P2V-7哨戒機11機もグアムのアガナ海軍航空基地に展開し、捜索救難活動を実施した。 ハワイ派遣えひめ丸事故 2001年(平成13年)2月10日、ハワイ州オアフ島沖で、愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船だったえひめ丸に浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦グリーンビルが衝突し沈没させる事故が発生。その後、8月に愛媛県からの要請を受け政府は、潜水艦救難艦ちはやを災害派遣し遺体捜索作業に当たらせた。
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災害派遣
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1951年10月、ルース台風により山口県玖珂郡一帯が孤立、自然災害の被害に対して、初めて警察予備隊の投入が行われた。
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災害派遣
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2011年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震を受けて、宮城県岩沼市に約600人が3月12日から5月24日まで派遣された。
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1997年(平成09年)1月 - ナホトカ号重油流出事故。 2004年(平成16年)10-12月 - 新潟県中越地震。 2007年(平成19年)7-8月 - 新潟県中越沖地震。 2010年(平成22年)3月 - 加茂市の水道管破裂に伴う給水活動。 2011年(平成23年)3月 - 東日本大震災に伴う災害派遣。主に福島県内で活動。 2017年(平成29年)3月 - 関山演習場にてアメリカ海兵隊と共同訓練を実地。V-22 オスプレイ輸送機も参加した。 2018年(平成30年)1月 - 佐渡市の凍害による水道断水に対する給水活動を第12後方支援隊、第2普通科連隊他の陸上自衛隊の部隊及び航空自衛隊の第46警戒隊と共に実施した。
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災害派遣
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2011年3月11日に起きた東日本大震災の際、福島県に派遣され5月3日からは福島第一原子力発電所事故で警戒区域となっている浪江町でも活動、最後の80人は6月15日に山口市に帰隊した。連隊が発見した遺体は約10。 2016年4月16日より断続的に発生した熊本県熊本地方を震央とする「平成28年熊本地震」で南阿蘇村にて捜索活動を行っている。
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災害派遣
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1995年(平成7年)1月17日 - 4月27日:阪神・淡路大震災 1997年(平成9年)1月9日 - 3月13日:ナホトカ号重油流出事故 1998年(平成10年)7月10日 - 11日:福井県鯖江市浅水川堤防溢水現場の土嚢積み 2001年(平成13年)5月18日 - 19日:石川県内浦町の山林火災 2004年(平成16年)2月9日:福井県大町山での冬山遭難事故 2004年(平成16年)7月18日 - 8月3日:福井豪雨 2004年(平成16年)10月20日 - 11月24日:新潟県中越地震における災害派遣活動 2007年(平成19年)3月:能登半島地震による災害派遣活動 2011年(平成23年)1月31日 - 2月1日:平成23年豪雪による災害派遣活動、福井県越前市における除雪支援および給油支援 2011年(平成23年)3月14日 - 5月26日:東日本大震災における災害派遣活動、宮城県名取市、山元町における行方不明者の捜索、瓦礫除去、給食支援、給水支援、物資輸送 2018年(平成30年)2月6日:平成30年豪雪による災害派遣活動、除雪作業および人命救助。 2021年(令和3年)1月10日 - 11日:令和3年豪雪による北陸自動車道などにおける大雪に係る災害派遣活動。
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災害派遣
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例としては2015年4月23日の那覇~福岡、同4月26日の石垣島~那覇、同4月30日の函館~札幌、同6月5日の釧路~札幌などの出動実績がある。
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災害派遣
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自衛隊の災害派遣の増加に伴い、被災者への食料として使われることが多い。しかし、「苦しい状況下で赤飯を配るとは何事だ」といった苦情が出るなどの問題がある(実例はない)。そのため、災害派遣にはなるべく使わないよう配慮がなされている。ただ、実際は、米食の中でも特に「もち米」が高比率で配合されているため腹持ちが良いという実用的な面と、単純に配布する食料のバリエーションをふやす目的で赤飯が選ばれたと推測される。その後、2011年に発生した東日本大震災の災害派遣を機に、陸上自衛隊・航空自衛隊は赤飯の調達を中止することを決定した。これにより、1957年の調達開始以来54年目に、赤飯が陸・空自衛隊の戦闘糧食のメニューから外れた。 阪神・淡路大震災の際は、緊急食料として缶詰食が供給されたが、大量の缶詰を湯煎する設備が無かったため、神戸港接岸中の護衛艦の浴槽で代用した。北海道南西沖地震の際にも、奥尻島の住民に対して航空自衛隊奥尻分屯基地に保管されていた緊急用の缶詰食が配布され、やはり分屯基地の浴槽に熱湯を入れて缶詰の湯煎が行われた。
※この「災害派遣」の解説は、「戦闘糧食I型」の解説の一部です。
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