豊浜トンネル岩盤崩落事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 11:13 UTC 版)
「豊浜トンネル (後志)」の記事における「豊浜トンネル岩盤崩落事故」の解説
1996年2月10日午前8時10分頃、古平町側坑口直上の斜面において岩盤(最大高さ70m・最大幅50m・最大厚さ13m・体積11,000m3・重さ27,000tと推計)が崩落。落石防護のために設けられていたトンネル巻き出し部の天井を突き破り、トンネル内を走行中だった北海道中央バスの積丹町余別発小樽駅前行き路線バス(乗客18名、運転手1名)と、後続の乗用車(1名乗車)、対向の乗用車1台(1名乗車)の計3台が直撃を受けた。間一髪で脱出した乗用車運転の女性1名を除く20名が死亡した。 トンネル内の事故現場は多数の瓦礫に塞がれ、内部に閉じ込められた車の様子が確認出来ず、さらに、巨大なまま上部に残留している岩盤を除去しない限りは再崩落の危険があり、内部に入ることができなかったため、岩盤を発破により海側へ滑らせて除去することとした。しかし、内部にいる人が生存している可能性も考慮し、岩盤除去に使用する爆薬の量が制限されたため、岩盤除去作業は難航した。11日より14日にかけて、4回にわたる発破作業の末ようやく岩盤を除去することができた。岩盤除去後に瓦礫は取り除かれたが、乗用車は原形をとどめておらず、また、バスは3mあった高さが1mにまで押し潰された有様であり、死因は全員とも圧死で、ほぼ即死状態であったと考えられている。 崩落に至った原因としては、付近の地下水が湧出している部分が厳冬期に凍結し、地下水圧の上昇を毎年繰り返すことで、岩盤の亀裂を徐々に成長させたためと見られている。 1991年と1994年にも現場付近で小規模な崩落が起きており、安全対策を怠ったとして北海道開発局の元幹部2名が書類送検されたが、不起訴処分となっている。遺族の一部は責任を追及しようと、道路管理者である日本国政府を相手取り民事訴訟を起こしたが、判決では賠償金の支払いは命じたものの、責任については明確にされなかった。
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