浅沼稲次郎の暗殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 09:05 UTC 版)
詳細は「浅沼稲次郎暗殺事件」を参照 1960年(昭和35年)10月12日に日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺し、現行犯逮捕された。当時17歳で、少年法により実名非公開対象 であったが、事件の重大さから名前が公表されている。 浅沼殺害時に、ポケットに入れていたとされる斬奸状の文面は以下の通りである。 汝、浅沼稲次郎は日本赤化をはかっている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接のせん動者としての責任からして、汝を許しておくことはできない。ここに於て我、汝に対し天誅を下す。 皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢。 自決を試みたがすぐに飛びついた巡査によって逮捕された。事件直後、警察は「背後関係を徹底的に洗う」としたが、山口はあくまで単独犯行だと供述した。 一方自衛隊は、父・晋平が幹部自衛官(1等陸佐)であることから批判の累が及ぶことを恐れ、辞職を望んだ。晋平は親と子は別と考え当初は拒んでいたが、結局事件3日後の10月15日に依願退職した。
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