山口の自殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 01:53 UTC 版)
逮捕後の山口は取調べに対し若年ながら理路整然と受け答えしていたという。事件の3週間後の11月2日夜、東京少年鑑別所の単独室で、白い歯磨き粉を溶いた液で書いた「七生報国 天皇陛下万才」〔ママ〕の文字を監房の壁に残した後自殺した。 山口の慰霊祭は「烈士山口二矢君国民慰霊祭」として、12月15日午後1時から、事件のあった日比谷公会堂で執り行われた。名士も含め在京右翼のほとんど全員が集まり、約3千人が参加した。 この事件で警視庁は山口のほかに「全アジア反共青年連盟」責任者・吉松法俊(当時32歳)を恐喝、右翼団体「防共挺身隊」の福田進隊長(同・32歳)を公正証書原本不実記載および強要、また赤尾敏を威力業務妨害容疑で、それぞれ逮捕した。
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