浅沼稲次郎暗殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/12 08:52 UTC 版)
浅沼稲次郎暗殺事件(あさぬまいねじろうあんさつじけん)は、1960年(昭和35年)10月12日(水曜日)に東京都千代田区の日比谷公会堂で開催された自民党・社会党・民社党3党首立会での演説中の浅沼稲次郎日本社会党中央執行委員会委員長(日本社会党党首)が17歳の右翼少年・山口二矢に刺殺された事件である。「浅沼社会党委員長暗殺事件」と称されることもある[1]。
注釈
- ^ 「凶器は鎌倉時代の刀匠『来国俊』を模した贋作だったが、短刀というより脇差といった方がふさわしい実質を備えていた。全長1尺6寸、刃渡り1尺1寸、幅8分、鍔はなく白木の鞘に収められていた」。この刀は山口二矢の父晋平が護身用として持っていたものだった[4]。
- ^ ニュース映画「 [昭和35年10月] 中日ニュース No.352_4『【特報】浅沼委員長刺殺さる』」の中で本事件で使用された刃物の画像を見ることができる。
- ^ 首相退任直前の岸信介が暴漢に刺されたものの結局命には別条がなかったという事件が、この3か月前にあった。
- ^ 一部で「血書」とされているが誤り。
- ^ ニュース映像では、首相である池田を守るSPがおらず、大混乱となった壇上で呆然と立ち尽くす姿が収められている。
出典
- ^ “「真面目の標本」17歳による社会党委員長へのテロル 1960(昭和35)年・浅沼稲次郎氏暗殺事件〈サンデー毎日〉”. 週刊エコノミスト Online. 2023年10月12日閲覧。
- ^ 国政選挙と政党政治: 総合分析1945年-1976年 - p513, 杣正夫 · 1977年
- ^ a b 「浅沼委員長刺殺さる 三党首立ち会い演説会で 犯人(大東文化大学学生)を逮捕」『読売新聞 夕刊』、1960年10月12日、1面。
- ^ 沢木, pp. 10, 238.
- ^ 沢木, p. 11.
- ^ 伊藤, pp. 119–120.
- ^ a b c d e f 小林, pp. 12–17.
- ^ a b 伊藤, pp. 120–125.
- ^ 伊藤, p. 123.
- ^ 吉村, pp. 56–62.
- ^ 辻雅之 (2005年10月14日). “社会ニュース/よくわかる政治 自民党の歴史 長期政権化とそのひずみ”. All About. 2020年10月8日閲覧。
- ^ 大原社会問題研究所 編『日本労働年鑑 1962版』 第34集、労働旬報社、1961年 。
- ^ 伊藤, pp. 130–131.
- ^ 「山口二矢が自殺 浅沼刺殺犯人 練馬の少年鑑別所で」『読売新聞 朝刊』、1960年11月3日、1面。
- ^ 「家裁送りの夜の自殺 山口 監視36分のスキに シーツを裂き、より合わせる」『読売新聞 朝刊』、1960年11月3日、11面。
- ^ 「山口二矢の慰霊祭」『読売新聞 夕刊』、1960年12月15日、6面。
- ^ 乗本正名「刃物を持たない運動」『捜査研究』第109巻、東京法令出版、1961年1月、 18-24頁。
- ^ 『毎日新聞』1960年12月6日東京朝刊11頁「刃物の犯罪は減る 成果あがった防犯運動」
- ^ プロ野球日本選手権試合実況~川崎球場から~ 第2試合 大洋ホエールズ 対 大毎オリオンズ - NHKクロニクル
- ^ 三党首立会演説会 「総選挙に臨むわが党の態度」 ~日比谷公会堂で収録~ - NHKクロニクル
- ^ “1961 Yasushi Nagao WY”. www.worldpressphoto.org. 世界報道写真財団. 2020年4月26日閲覧。
- 1 浅沼稲次郎暗殺事件とは
- 2 浅沼稲次郎暗殺事件の概要
- 3 事件の経過
- 4 政府・与党の対応
- 5 事件後
- 6 参考文献
- 7 関連項目
固有名詞の分類
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