全日本農民組合連合会
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座標: 北緯35度42分40.1秒 東経139度43分13.1秒 / 北緯35.711139度 東経139.720306度全日本農民組合連合会(ぜんにほんのうみんくみあいれんごうかい)とは、日本の農業組織・農業者で構成される団体の中央組織である。略称全日農。
都道府県単位の農民組合が加盟する他に個人加盟の「全日農ネット」を擁する。
団体概要
沿革
日本農民組合の結成
1922年(大正11年)2月に日本労働総同盟系の横田晃一、杉山弥助などが日本農民総同盟を創立し[1]た。同じ年の4月9日に、日本の農民運動の画期となる日本農民組合の創立大会が、賀川豊彦、杉山元治郎、行政長蔵、古瀬伝蔵、小川渓三、岩内善作、山上武雄などを中心として神戸基督教青年会館で開かれ、69人の地方・団体代表が参加した[2]。この時の組織人員は15支部、272人であったが翌1923年2月に開かれた第2回大会では「支部数300,組合員は1万人を数え、実数はこれに数倍している」と報告されている[2]。
なお、1922年11月14日には、日本農民組合とは別に、労働総同盟の鈴木文治、赤松克麿、帝大新人会の荘原達、岡部完介、早大建設者同盟の和田巌、平野力三、大西俊夫、浅沼稲次郎、三宅正一、農民の須永好、名取二十郎、今井一郎、瀬沼要平、伊藤京助などを中心に農民組合が設立され、200支部、組合員数1万2千人に達したが、後に日本農民組合に加盟して、日本農民組合関東同盟会として再編された[3][4]。
分裂
一時期(1926年-1928年)全日本農民組合同盟(全農)が分裂していった時期もあるが[1]、その後、全日本農民組合として統合された。その後、派閥闘争やイデオロギー対立により解散・統合などを繰り返した[1][5]。1932年(昭和7年)4月には、社会民衆党の分裂を機に同党の支持を取り消し、脱党派とともに国家社会主義による農民運動を標榜し始めた[6]。第二次世界大戦直前の1940年(昭和15年)7月には日本農民組合総同盟が解散[1]、次いで翌8月に大日本農民組合が解散した[1][7]。
戦後、1946年(昭和21年)2月9日、日本農民組合が結成[8]。その後は全国農民組合・日本農民組合 (主体性派)・日本農民組合 (統一派)が乱立、分立したが、農民組合の中央組織として1957年(昭和32年)12月に農民戦線統一協議会を結成。
1958年(昭和33年)3月24日に農民組合統一全国大会を開催し、全日本農民組合連合会(全日農)が結成され再統一を果たした。しかし、派閥抗争により1969年(昭和44年)8月の第2回全国大会まで役員選出もできず、1960年には社会党分裂に伴って社会党右派系が離脱して全国農民同盟(全農同)を結成して組織力が大きく減退した[5]。
以降も社会党系と共産党系の潜在的な対立が続いたが、1989年(平成元年)に共産党系が農民運動全国連合会(農民連)を結成したことから、旧社会党系が全日農の主導権を握り現在に至っている[5]。
主張・活動
かつては生産者米価引き上げ交渉や減反交渉・空港や高速道路・新幹線などの建設にともなう農地収用をめぐって農民団体の一つとして反対闘争を率いた。最近では、米のミニマム・アクセス廃止や環境直接支払い制度創設・農業課税や土地改良費用の軽減・農業資材価格引き下げに取り組んでいる。また、高圧送電線下農地の被害補償の獲得では環境保護団体と、出稼ぎや賃労働兼業農民の労働問題では労働組合などと協力関係にある。食料自給率引き上げを求め、産地直送や直売の拡大といった、商業者・流通業者を介さない販路の開拓も行っている。
政党との関係
結成当初でこそ農民運動の統一的な組織体を目標としたが、1960年に日本社会党から民主社会党が分裂すると同党に近いグループが「新農村同志会」を結成、更には全日農からも脱退して全国農民同盟を結成した。加えて1980年代から日本共産党に近いグループが独自の動きを見せ始め、1989年には農民運動全国連合会(農民連)を結成。この結果、全日農は日本社会党→民主党・社会民主党との関係が濃くなっている(ちなみに元・全日農会長の谷本巍は元社民党参議院議員を務めた)。民主党がTPP加盟を容認してからは造反組のみどりの風や生活の党を支持することもあった。
自由民主党に対しては一貫して批判的であるが、実際の活動では自民党の支持基盤の一つでもある農協系の組織と共闘することも多い。
脚注
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- ^ a b c d e 『戦前における農民組合の系譜』〈村落社会研究 第2巻 農地改革と農民運動〉、218頁 。
- ^ a b 黒田、池田『日本農民組合運動史 日本農民組合の結成』1949年、27頁 。
- ^ 黒田、池田『日本農民組合運動史』、30頁 。
- ^ 青木『日本農民組合運動史 日本農民組合関東同盟会の成立』、38頁 。
- ^ a b c 立花書房編『新 警備用語辞典』立花書房、2009年、233-234頁。
- ^ 日本農民組合も国家社会主義へ『東京日日新聞』昭和7年4月18日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p197-198 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 十九年の歴史に幕、解散式『東京朝日新聞』昭和15年8月16日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p428)
- ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、350頁。ISBN 4-00-022512-X。
参考文献
- 黒田寿男、池田恒雄『日本農民組合運動史』新地書房、1949年 。
- 青木恵一『日本農民組合運動史 : 農民は如何に戦つたか?また如何に戦はんとしているか?』大衆公論社、1931年 。
- 木村靖二『近代日本農民運動發達史 改訂新版(日本農民運動史 上)』白揚社、1931年 。
- 『村落社会研究会年報 第2巻 農地改革と農民運動』(村落社会研究会 編)時潮社、1955年。
- 『村落社会研究会年報 第2巻 農地改革と農民運動』(村落社会研究会 編)御茶の水書房、1977年8月 。
- 『栗原百寿著作集 6 農民運動史 上』(栗原百寿著作集編集委員会 編)校倉書房、1981年2月 。
- 『栗原百寿著作集 6 農民運動史 下』(栗原百寿著作集編集委員会 編)校倉書房、1982年10月 。
- 『歴史科学大系 第24巻 農民運動史』(歴史科学協議会 編、編集:金原左門、解説:林宥一)校倉書房、1991年6月 。
- 『特高警察関係資料集成 第10巻 (農民運動)』(荻野富士夫 編・解題)不二出版、1992年6月 。
- 『特高警察関係資料集成 第11巻 (農民運動)』(荻野富士夫 編・解題)不二出版、1992年6月 。
- 横関至「日本農民組合の再建と社会党・共産党(上)」『大原社会問題研究所雑誌』第514巻、法政大学大原社会問題研究所、2001年、NDLJP:9971569。
- 横関至「日本農民組合の再建と社会党・共産党(下)」『大原社会問題研究所雑誌』第516巻、法政大学大原社会問題研究所、2001年、NDLJP:9971587。
関連項目
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