石井紘基刺殺事件とは? わかりやすく解説

石井紘基刺殺事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/09 06:44 UTC 版)

石井紘基刺殺事件
場所 日本東京都世田谷区
標的 石井紘基衆議院議員(当時61歳)[1]
日付 2002年平成14年)10月25日[1]
午前10時35分頃[1] (UTC+9)
概要 右翼団体『守皇塾』代表・伊藤白水が石井紘基衆議院議員を予め準備した柳刃包丁で刺殺した[1]
攻撃手段 柳刃包丁で突き刺す
攻撃側人数 1人
武器 柳刃包丁・ククリ手裏剣[2]
死亡者 1人
犯人 伊藤白水(当時48歳)
容疑 殺人・銃砲刀剣類所持等取締法違反
動機 金の無心や家賃工面を断られたことに対する報復[3]
対処 警視庁本部庁舎に出頭した伊藤を北沢警察署特別捜査本部逮捕東京地方検察庁起訴[4][5]
謝罪 なし[6]
刑事訴訟 無期懲役(第一審判決最高裁上告棄却決定により確定[7][8]
影響
管轄
  • 警視庁北沢警察署
  • 東京地方検察庁
  • テンプレートを表示

    石井紘基刺殺事件(いしいこうきしさつじけん)とは右翼団体幹部が民主党所属の衆議院議員石井紘基2002年10月殺害した事件。

    概要

    2002年10月25日午前10時35分頃、民主党の衆議院議員・石井紘基が、世田谷区の自宅駐車場において柳刃包丁で左胸を刺され死亡した[12]警視庁刑事部捜査第一課と警視庁公安部は殺人事件と見て北沢警察署特別捜査本部を設置[12]。近隣住民の目撃証言を基に逃走した男の捜索を開始した[12]

    日本国憲法下において他殺された現職国会議員は、浅沼稲次郎丹羽兵助11代目山村新治郎に続いて石井が4人目である[13]

    翌10月26日、右翼団体『守皇塾』代表の伊藤白水[注 1]警視庁本部庁舎に出頭したため、北沢警察署特別捜査本部は伊藤を殺人容疑で逮捕した[14]。なお、伊藤については事件当日の午前11時過ぎには既に永田町の政治記者の間で被疑者として名前があがっていたという[15]

    犯行動機について伊藤は「生活に困窮し家賃の工面を断られたため、仕返しでやった」と供述した[14]。しかし、恨みを抱くに至った理由としては強引で、石井が国会議員官僚腐敗を徹底追及していたことから「暗殺された」との見方もある[16][17][18][19]。10月28日に予定されていた国会質問を前に、石井は「これで与党の連中がひっくり返る」と発言したという事実などが挙げられている[18]。 なお、2003年2月に石井の遺族らが事件の真相を求めてウェブサイト(#外部リンク)を開設し、懸賞金を付けて情報提供を求めている[20]

    事件当日、石井の鞄には国会質問のために国会へ提出する書類が入っていたが、事件現場の鞄からは書類がなくなっており、いまだに発見されていない[21]。国会では審議されない、一般会計の4倍相当の金額を有する特別会計について質問する予定だったとされている。

    事件後の動向

    衆議院災害対策特別委員長

    2002年11月1日、民主党は石井の後任として松沢成文衆議院災害対策特別委員長に起用する人事を内定した[22]。その後、11月8日の災害対策特別委員会で松沢が委員長に補欠当選した[23]

    東京都第6区補欠選挙

    石井の選出選挙区であった東京都第6区では2003年4月27日に補欠選挙が行われ、参議院議員より転出した民主党公認の小宮山洋子が当選した[24]

    捜査・起訴

    2002年11月15日、東京地検は伊藤を殺人、銃刀法違反の罪で起訴した[25]。逮捕後の伊藤の供述から、石井を襲撃する際、抵抗された場合も想定して手製の手裏剣を所持していたことが判明した[26]。また、石井の自宅に放火するために現場付近にガソリンの入ったポリタンクを準備していたことも判明した[27]

    刑事裁判

    第一審・東京地裁

    2003年1月21日、東京地裁(加藤学裁判長)で初公判が開かれ、罪状認否で伊藤は起訴事実を認めた[28][29]。検察側の冒頭陳述によると、伊藤は石井について、当選後の利用価値が高いと考えて1992年11月頃から事務所に頻繁に出入りするなどして石井に接近するようになった[28][29]

    そして石井が衆議院議員総選挙に当選した後は車代という名目で金の無心をするようになったが、2001年頃から多忙を理由に断られるようになった[28][29]。これを受けて伊藤は「なめるなよ」などと書かれたビラを石井の自宅に貼り付ける報復に出たが、石井は応じなかった[28][29]

    そういった中で、同年9月には家賃滞納により居住していたアパートの退去を迫られたため、石井に家賃の工面や引っ越しの世話を依頼したが、断られたために「国会議員に育ててやったのに自分をぞんざいに扱った」と逆恨みして石井の殺害を計画・実行した[28][29]

    2003年9月1日、被告人質問が行われ、伊藤は犯行動機について「かつて議員の金の面倒を見たのに、恩を仇で返され、個人的な恨みがあった。殺す以外の方法は思いつかなかった」と回答した[30]。また、自身に予想される量刑については「議員の命と引き換えに、死刑を覚悟している」と述べた[30]

    2004年3月24日、論告求刑公判が開かれ、検察側は「民主主義の根幹を揺るがす犯行。微塵も反省しておらず、再犯の可能性も高い」として伊藤に無期懲役を求刑した[31][32]。意見陳述で石井の妻は「私の心は今も事件を事実として受け止めることを拒んでいる。判決は死刑しかあり得ない」と述べて伊藤に死刑を求めた[32]

    2004年4月27日、最終弁論が開かれ、弁護側は「殺害動機の証拠調べが不十分」として審理再開を求めたが、東京地裁が却下したため、同日で結審した[33]

    2004年6月18日、東京地裁(成川洋司裁判長)で判決公判が開かれ、裁判長は「被告の蛮行は、国会議員の活動を暴力的に侵害し、民主主義の存立を脅かした。謝罪や反省もなく、思考方法は極めて異常で法規範無視の態度は甚だしく、矯正可能性はほぼ皆無だ」として伊藤に求刑通り無期懲役の判決を言い渡した[34][35]。伊藤は判決を不服として控訴した[36]

    控訴審・東京高裁

    2005年6月30日、東京高裁田尾健二郎裁判長)は犯行動機の解明は困難とした上で「殺害の動機に関する被告の供述は信用できず、1審判決に事実誤認もない」として一審・東京地裁の無期懲役の判決を支持、被告側の控訴を棄却した[37][38]

    上告審・最高裁第三小法廷

    2005年11月15日、最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は被告側の上告を棄却する決定を出したため、伊藤に対する無期懲役の判決が確定した[39]

    判決確定後

    石井議員の左の中指は切断されていたことが明らかになっており、2010年10月に放映されたテレビ朝日の番組「報道発 ドキュメンタリ宣言」で、法医学者の上野正彦は、指は外側から切断されており、カバンを握った手が邪魔だったために指を切断したのではないかと推察を述べた。

    また、この番組内で、服役中の伊藤は、テレビ朝日に向けた手紙内で「当方の事件は、いろいろと政治の裏側で動く金と人脈が関係しており-」と明かしており、面会時のインタビューに対しても「でたらめを言わざるをえなかった」「本当の事を言えば頼んだ人が誰かを言わなくてはいけなくなる」「殺害を頼まれた」「それを言えばその人の顔に泥を塗る事になる」と答えたと報道された。

    2015年11月20日、石井の遺族は、石井が事件当日に身につけていた鞄などの遺品53点を憲政記念館に寄贈した[40]

    脚注

    注釈

    1. ^ 1970年代まで暴力団組員であり、1988年日本共産党本部襲撃事件を起こして逮捕されていた。

    出典

    1. ^ a b c d 朝日新聞』2002年10月25日 夕刊 1社会23頁「住宅街、政治家に凶行 事件前から不審な男 石井紘基議員刺殺」(朝日新聞東京本社
    2. ^ 毎日新聞』2003年1月21日 東京夕刊 社会面8頁「石井議員刺殺事件初公判 「10年前から金無心」起訴事実認める--冒頭陳述」(毎日新聞東京本社
    3. ^ 『毎日新聞』2002年10月27日 東京朝刊 1面1頁「石井紘基議員刺殺 右翼団体代表を逮捕--動機供述「家賃援助を拒否され」」(毎日新聞東京本社)
    4. ^ 読売新聞』2002年10月26日 全国版 東京夕刊 夕一面1頁「石井議員刺殺 右翼48歳男逮捕へ 警視庁に出頭「自分がやった」」(読売新聞東京本社
    5. ^ 『朝日新聞』2002年11月16日 朝刊 1社会35頁「容疑者を起訴 石井議員刺殺事件で東京地検」(朝日新聞東京本社)
    6. ^ 『毎日新聞』2002年11月16日 東京朝刊 社会面31頁「石井紘基議員刺殺 伊藤容疑者を起訴」(毎日新聞東京本社)
    7. ^ 『朝日新聞』2004年6月18日 夕刊 2社会14頁「動機解明「困難」伊藤被告に無期判決 石井紘議員刺殺で東京地裁」(朝日新聞東京本社)
    8. ^ 『毎日新聞』2005年11月17日 東京朝刊 社会面31頁「石井紘基議員刺殺:被告、無期確定へ」(毎日新聞東京本社)
    9. ^ 『読売新聞』2002年11月5日 全国版 東京夕刊 夕2社18頁「故石井紘基氏に旭日中綬章授与」(読売新聞東京本社)
    10. ^ 『毎日新聞』2002年11月5日 東京夕刊 国際面7頁「石井紘基議員刺殺 石井議員に勲三等を授与--政府が決定」(毎日新聞東京本社)
    11. ^ 『読売新聞』2003年4月28日 東京 東京朝刊 都民15頁「衆院東京6区補選 小宮山氏当選 「全力で駆け抜けた」」(読売新聞東京本社)
    12. ^ a b c 『読売新聞』2002年10月25日 全国版 東京夕刊 夕一面1頁「石井紘基議員、刺され死亡 自宅から出た直後に 犯人の男は逃走」(読売新聞東京本社)
    13. ^ 『毎日新聞』2002年10月25日 東京夕刊 社会面13頁「石井紘基議員刺殺 静かな住宅街、響く絶叫--朝から不審な男の姿」(毎日新聞東京本社)
    14. ^ a b 『読売新聞』2002年10月27日 全国版 東京朝刊 社会35頁「石井紘基議員刺殺容疑 右翼の男逮捕 「家賃工面断られた」/東京・北沢署」(読売新聞東京本社)
    15. ^ 保坂展人, 石井紘基さん殺害事件から8年、封印されたもうひとつの「謎」(保坂展人のどこどこ日記 - 2010年10月31日) 
    16. ^ 『実録!平成日本タブー大全』宝島社〈宝島社文庫〉、2005年。ISBN 4796653171 
    17. ^ 「追及者ゆえ恨まれる危険 石井紘基代議士刺殺」『AERA』第15巻、第47号、朝日新聞社、2002年11月4日。 
    18. ^ a b 「石井紘基代議士が追った闇 本誌記者に語っていた… 右翼「刺殺」」『週刊朝日』第107巻、第52号、朝日新聞社、2002年11月8日。 
    19. ^ 霍見芳浩「霍見芳浩のニッポンを斬る」『日刊ゲンダイ』、日刊現代、2002年10月31日。 
    20. ^ 『朝日新聞』2003年2月12日 朝刊 2社会30頁「刺殺された石井議員の遺族らがHP開設 情報提供求める」(朝日新聞東京本社)
    21. ^ “「消えた書類」は整理回収機構の不正関連 石井紘基氏刺殺事件で金融専門家が証言 当日「国会質問の最終準備を予定」”. 日刊ベリタ. (2005年12月22日) 
    22. ^ 『読売新聞』2002年11月2日 全国版 東京朝刊 政治4頁「衆院災害特別委員長に松沢氏の起用内定/民主党」(読売新聞東京本社)
    23. ^ 第155回国会 災害対策特別委員会 第2号(平成14年11月8日(金曜日))”. 衆議院ホームページ. 災害対策特別委員会 (2002年11月8日). 2025年2月9日閲覧。
    24. ^ 『朝日新聞』2003年4月28日 朝刊 1総合1頁「東京6区補選で民主・小宮山氏が大勝 衆参4選挙区の統一補選」(朝日新聞東京本社)
    25. ^ 『読売新聞』2002年11月16日 全国版 東京朝刊 2社38頁「石井紘基議員殺害容疑の男を起訴/東京地検」(読売新聞東京本社)
    26. ^ 『読売新聞』2002年11月5日 全国版 東京夕刊 夕社会19頁「石井議員刺殺容疑者、抵抗に備えて手裏剣も所持」(読売新聞東京本社)
    27. ^ 『毎日新聞』2002年11月13日 東京夕刊 社会面9頁「石井紘基議員刺殺 伊藤容疑者、ガソリン入りのポリタンク準備」(毎日新聞東京本社)
    28. ^ a b c d e 『読売新聞』2003年1月21日 全国版 東京夕刊 夕2社18頁「石井議員刺殺 被告、起訴事実認める 東京地裁で初公判」(読売新聞東京本社)
    29. ^ a b c d e 『朝日新聞』2003年1月21日 夕刊 1社会15頁「「支援断られ決意」被告、争わぬ姿勢 石井代議士刺殺事件初公判」(朝日新聞東京本社)
    30. ^ a b 『朝日新聞』2003年9月2日 朝刊 2社会38頁「民主の石井議員刺殺 「個人的な恨み」被告が動機述べる」(朝日新聞東京本社)
    31. ^ 『読売新聞』2004年3月25日 全国版 東京朝刊 2社38頁「石井紘基氏刺殺被告に無期求刑/東京地検」(読売新聞東京本社)
    32. ^ a b 『朝日新聞』2004年3月25日 朝刊 3社会37頁「石井紘基議員刺殺、無期懲役を求刑」(朝日新聞東京本社)
    33. ^ 『読売新聞』2004年4月28日 東京 東京朝刊 都民30頁「石井紘基議員刺殺事件 判決は6月18日/東京地裁」(読売新聞東京本社)
    34. ^ 石井紘基議員殺害事件、被告に無期懲役判決 東京地裁」『朝日新聞』2004年6月18日。オリジナルの2004年6月18日時点におけるアーカイブ。2025年2月9日閲覧。
    35. ^ 石井議員刺殺 右翼団体代表に無期判決」『東京新聞』2004年6月18日。オリジナルの2004年6月24日時点におけるアーカイブ。2025年2月9日閲覧。
    36. ^ 『朝日新聞』2004年6月25日 朝刊 3社会37頁「伊藤被告が東京高裁に控訴 石井紘議員殺害事件」(朝日新聞東京本社)
    37. ^ 石井紘基議員刺殺の被告、二審も無期懲役 東京高裁」『朝日新聞』2005年6月30日。オリジナルの2005年7月2日時点におけるアーカイブ。2025年2月9日閲覧。
    38. ^ 『読売新聞』2005年6月30日 全国版 東京夕刊 夕社会23頁「石井紘基議員殺害 被告の控訴棄却/東京高裁」(読売新聞東京本社)
    39. ^ 『読売新聞』2005年11月17日 全国版 東京朝刊 2社38頁「石井紘基議員刺殺 無期懲役が確定へ」(読売新聞東京本社)
    40. ^ 『毎日新聞』2015年11月21日 地方版/東京 26頁「寄贈:故・石井紘基衆院議員の遺品 背広やかばん53点 憲政記念館 /東京」(毎日新聞東京本社)

    外部リンク





    固有名詞の分類


    英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
    英語⇒日本語日本語⇒英語
      

    辞書ショートカット

    すべての辞書の索引

    「石井紘基刺殺事件」の関連用語

    石井紘基刺殺事件のお隣キーワード
    検索ランキング

       

    英語⇒日本語
    日本語⇒英語
       



    石井紘基刺殺事件のページの著作権
    Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

       
    ウィキペディアウィキペディア
    All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
    この記事は、ウィキペディアの石井紘基刺殺事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

    ©2025 GRAS Group, Inc.RSS