石井繁丸とは? わかりやすく解説

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石井繁丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/21 16:22 UTC 版)

石井繁丸

石井繁丸(いしい しげまる、1904年明治37年)1月1日[1] - 1983年昭和58年)10月8日[1])は、日本政治家弁護士衆議院議員(3期)、前橋市長(5期)。前橋市立工業短期大学学長[2]大日本帝国陸軍軍人(陸軍曹長)。

経歴

群馬県勢多郡木瀬村大字野中(現・前橋市野中町)出身[2]永明尋常高等小学校から県立前橋中学校卒業後、警視庁書記を経て1927年(昭和2年)日本大学卒業[2]1928年(昭和3年)弁護士となる[2]

昭和12年(1937年)から昭和17年(1942年)まで前橋市議会議員[2]1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙日本社会党から旧群馬1区に立候補し当選[2]。通算3期務めた。1957年(昭和32年)群馬弁護士会会長、日本弁護士会常任理事を務めた後、1958年(昭和33年)7月に前橋市長に就任[2]。以後連続5期当選を果たす[2]。ほかに、関東市長会会長、全国市長会副会長、日農中央委員、日本社会党群馬県連会長、群馬県労働委員、裁判官弾劾裁判所裁判員、日本社会党中央執行委員などを歴任した。

1975年(昭和50年)4月の春の叙勲勲七等から勲二等に叙され、瑞宝章を受章する[3][2]

1981年(昭和56年)5月30日紺綬褒章を受章する[4]

1983年昭和58年)10月8日、死去した。79歳没。同月25日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって従四位に叙された[5][2]。同年、前橋市名誉市民の称号を贈られる[2]

脚注

  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、91頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 752–753.
  3. ^ 『官報』第14499号4頁 昭和50年5月6日
  4. ^ 『官報』第17022号11-12頁 昭和58年10月29日
  5. ^ 『官報』号外第52号12頁 昭和56年6月15日号

参考文献

関連項目

公職
先代
関口志行
群馬県前橋市長
1958年 - 1978年
次代
藤井精一



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