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関口志行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 00:22 UTC 版)

関口 志行
せきぐち しこう
生年月日 1882年明治15年)5月9日
出生地 群馬県新田郡木崎町大字赤堀(現・太田市新田赤堀町
没年月日 (1958-12-21) 1958年12月21日(76歳没)
出身校 京都帝国大学英法科
前職 弁護士
所属政党 立憲民政党
称号 藍綬褒章

衆議院議員
在任期間 1930年(昭和5年)2月 - 1932年(昭和7年)1月

第12代(公選初代) 群馬県前橋市長
当選回数 3
在任期間 1947年(昭和22年)4月5日 - 1958年(昭和33年)5月31日

群馬県会議員
当選回数 2
在任期間 1923年(大正12年)9月 - 1930年(昭和5年)2月23日[1]
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関口 志行(せきぐち しこう、1882年明治15年〉5月9日[2][3][4][5] - 1958年昭和33年〉12月21日[6][4][5])は、日本政治家弁護士衆議院議員立憲民政党)、前橋市長群馬県会議員俳人としても知られ、号は雨亭

経歴

群馬県新田郡木崎町[2][7][4][5]大字赤堀[3][8](現在の太田市新田赤堀町)に、父貞作、母いすの長男として生まれる[3]1900年明治33年)群馬県中学校(現在の群馬県立前橋高等学校)を卒業[3][7][4][5]1903年(明治36年)に旧制第二高等学校を卒業[3][7]1906年(明治39年)京都帝国大学法科大学英法科を卒業した[9][10][3][7][4][5]文部省に入省するが、1年で退官[9][3]1909年(明治42年)、司法官試補となり、前橋地方裁判所に勤務した[9][3][8]。やがて判事に昇進し、1911年(明治44年)[注釈 1]には甲府地方裁判所に異動するが、1913年大正2年)に退官した[9][3][8][7][4][5]。その後、前橋市で弁護士事務所を開業[6][9][3][8][7][4][5]

1914年(大正3年)前橋中学校教授嘱託となり1923年(大正12年)まで在職[3]

1923年(大正12年)と1927年昭和2年)の2度、群馬県会議員に当選[3][8][7][4][5]立憲民政党群馬支部幹事長として活躍した[3][8]

1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした[3]

1947年(昭和22年)4月5日、初代公選前橋市長に選出され、1958年(昭和33年)5月31日に病気で辞職するまで3期11年在職した[4][5]

市長在職中の1950年(昭和25年)、市営競輪場を開設[4][5]1952年(昭和27年)前橋市立工業短期大学を設立し初代学長に就任[4][5]。市長在職中に県市長会長、戸籍事務協議会長も務めた[7][4][5]

ほかに都市計画地方審議会委員、群馬弁護士会懲戒委員、前中同窓会長、県監査委員などを歴任[3][8]

雨亭の号で俳句をよくし、松根東洋城に師事[7][4][5]、「いなのめ会」の幹事として活動した[8]臨江閣の「世念を捨てしに非ず竹植うる」[11]など前橋市内の4か所に句碑が建つ[8][7]。群馬県俳句作家協会長[7][4][5]1953年(昭和28年)の群馬大橋竣工に際しては「秋晴れや群馬大橋弧を連ね」と詠み祝辞としたことが知られている[7][4][12]囲碁も3段の段位を有した[3][7]

1958年(昭和33年)、藍綬褒章受章[3][4][5]。同年12月21日、胃潰瘍で死去[3]。戒名は誠徳院殿志行雨亭大居士、墓所は太田市新田木崎町曹洞宗大通寺[3][4][5]。没後『雨亭句集』が刊行された[3][8][7]

脚注

注釈

  1. ^ 『群馬県の代表的人物並事業』では1912年(明治45年)。

出典

  1. ^ 前橋市史編さん委員会 1984, p. 75.
  2. ^ a b 『大衆人事録』
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 群馬県議会図書室 編『群馬県議会史』 別巻、群馬県議会、1966年12月15日、268頁。doi:10.11501/3025553 (要登録)
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 歴代知事編纂会 編『日本の歴代市長』 1巻、歴代知事編纂会、1983年11月15日、635頁。doi:10.11501/11897478 (要登録)
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 前橋市史編さん委員会 1984, pp. 52–53.
  6. ^ a b 『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年11月1日、289-290頁。doi:10.11501/12189010 (要登録)
  8. ^ a b c d e f g h i j 『群馬県百科事典』上毛新聞社、1979年2月28日、535頁。doi:10.11501/12160601 (要登録)
  9. ^ a b c d e 群馬県の代表的人物並事業』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 人事興信録 9版』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  11. ^ 前橋市史編さん委員会 1984, p. 464.
  12. ^ 前橋市史編さん委員会 1984, p. 1134.

参考文献

  • 蛯名慶五郎『群馬県の代表的人物並事業』1917年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。 
  • 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 5巻、前橋市、1984年2月1日。doi:10.11501/9643049 (要登録)
公職
先代
堀康雄
群馬県前橋市長
1947年 - 1958年
次代
石井繁丸



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