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熊川次男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/07 00:19 UTC 版)

熊川 次男
くまがわ つぎお
生年月日 (1930-11-10) 1930年11月10日(91歳)
出身校 早稲田大学法学研究科
所属政党自由民主党→)
新進党→)
民主党
称号 旭日重光章

選挙区 旧群馬1区
当選回数 4回
在任期間 1979年 - 1990年
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熊川 次男(くまがわ つぎお、1930年11月10日 - )は、日本弁護士(登録番号:8186)、政治家衆議院議員(4期)、大蔵政務次官第2次中曽根内閣)、総務政務次官(竹下内閣)、衆議院環境委員長などを歴任。

経歴・政歴

群馬県出身、中央大学法学部卒業。1958年に司法試験合格。1959年早稲田大学法学研究科修了後、1961年に熊川弁護士事務所を設立。1973年、群馬弁護士会会長、1974年日本弁護士連合会副会長に就いた。

群馬県議会議員を務めた後、1979年第35回衆議院議員総選挙群馬1区から立候補し初当選。以後、連続当選4回。第2次中曽根内閣大蔵政務次官に、竹下内閣で総務政務次官・衆議院環境委員長に就任。このほか、自由民主党政調国防副部会長・自民党労働副部会長・自民党法務副部会長・自民党商工副部会長・自民党財務副部会長・自民党国民運動本部副本部長・自民党全国組織委員会研修局局長・自民党国会対策副委員長などを歴任した。

1990年第39回衆議院議員総選挙で落選し、議席を失う。1993年第40回衆議院議員総選挙でも落選。その後自民党を離れ、1996年第41回衆議院議員総選挙では新進党から、2000年第42回衆議院議員総選挙では民主党から立候補したが、いずれも落選。その後、政界から引退した。

2019年5月21日発令の春の叙勲で、旭日重光章を受章[1]

家族

著書

  • 『いっしょに考えよう 明日の婦人問題』

脚注

  1. ^ 『官報』号外第14号11P、令和元年5月21日

外部リンク

議会
先代
菊池福治郎
衆議院環境委員長
1989年
次代
戸塚進也



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