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堀内俊夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/06 15:19 UTC 版)

堀内俊夫
ほりうち としお
生年月日 1918年2月16日
出生地 奈良県天理市
没年月日 (2009-10-26) 2009年10月26日(91歳没)
死没地 奈良県奈良市
出身校 奈良師範学校
所属政党無所属→)
自由民主党
称号 旭日重光章
正四位
藍綬褒章

第19代 環境庁長官
内閣 竹下内閣
在任期間 1987年11月6日 - 1988年12月27日

選挙区 奈良県選挙区
当選回数 3回
在任期間 1976年 - 1989年

当選回数 3回
在任期間 1966年 - 1976年
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堀内 俊夫(ほりうち としお、1918年2月16日 - 2009年10月26日)は、日本政治家環境庁長官第19代)、参議院議員(3期)、奈良県天理市長(第3代)。

来歴・人物

奈良県天理市生まれ。1938年奈良師範学校(現奈良教育大学)専攻科卒業。

1966年奈良県天理市長に初当選。天理市長在任中は近畿市長会会長も務める。1975年秋の褒章で県議会議員や市長として公共の福祉に奉仕し地方自治の発展に貢献したとして藍綬褒章受章[1]1976年参議院奈良県選挙区補欠選挙自由民主党公認で立候補し、当選。以後参議院議員を3期務める。1982年、参議院文教委員長に就任。1987年竹下内閣環境庁長官に任命される。閣僚名簿の発表の際、内閣官房長官小渕恵三に名前を呼び忘れられるハプニングがあり、小渕は会見中に発言を訂正。堀内の元に謝罪に訪れた小渕に対し、怒りを見せることなく「かえって名前が売れた」とコメントした。1989年、政界から引退。

2009年10月26日、脳卒中のため奈良県奈良市の病院で死去[2]。91歳没。死没日をもって旭日重光章追贈、正四位に叙される[3]

脚注

  1. ^ 『官報』第14627号9頁 昭和50年10月4日号
  2. ^ “元環境庁長官の堀内俊夫さん死去”. 朝日新聞. (2009年10月29日). オリジナルの2010年1月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100105001705/http://www.asahi.com/obituaries/update/1029/OSK200910290141.html 2009年10月30日閲覧。 
  3. ^ 『官報』第5205号8-9頁 平成21年12月1日号
公職
先代
稲村利幸
環境庁長官
第19代:1987年 - 1988年
次代
青木正久
先代
北沢善之
奈良県天理市長
第3代:1966年 - 1976年
次代
尾崎喜代房
議会
先代
片山正英
参議院文教委員長
1982年 - 1983年
次代
長谷川信



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