堀内伝重
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堀内 伝重(ほりうち でんじゅう、1880年6月18日[1] - 1917年6月18日[2])は、山梨県出身の南米移民者である。「南米太郎」というあだ名でも呼ばれた。実兄は富士身延鉄道、富士山麓電気鉄道(現:富士急行グループ)の創業者で、衆議院議員も務めた堀内良平である[1]。南アメリカでの生活について書き留めたものをまとめた遺稿集『聖母河畔の十六年』[注釈 1]は、童話作家の坪田譲治の作品『ペルーの話』『ベニー河のほとり』の着想のもとになった[4][注釈 2]。
注釈
- ^ 「聖母河」とはマドレ・デ・ディオス川のこと
- ^ 『ベニー河のほとり』の作中に、堀内という登場人物が存在する。『ベニー河のほとり』は「坪田譲治全集第七巻」に収録されている。
- ^ 自伝『聖母河畔の十六年』には、ゴム景気により難工事の末に敷設されたマデイラ・マモレ鉄道に関する記述もある
- ^ 編集した実兄の堀内良平によれば、堀内伝重の遺稿は日本への郵送中に一部が紛失、また遺稿集の出版準備中に出版社が関東大震災で被災し、一部が損失した[18]。
出典
- ^ a b c d e f g h 聖母河畔の十六年 1926, p. 序1.
- ^ a b c d e f g 富士を拓く 1994, p. 209.
- ^ 富士を拓く 1994, pp. 124–125.
- ^ 坪田譲治の金川中学校時代 2013, p. 26.
- ^ a b c d e 聖母河畔の十六年 1926, p. 序2.
- ^ 富士を拓く 1994, p. 117.
- ^ 田中貞吉(読み)たなか ていきちデジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ 笠戸丸から見た日本 2007, p. 114.
- ^ a b 富士を拓く 1994, p. 121.
- ^ a b 富士を拓く 1994, p. 207.
- ^ a b c d e f 聖母河畔の十六年 1926, p. 序3.
- ^ a b c 聖母河畔の十六年 1926, p. 序4.
- ^ a b 富士を拓く 1994, p. 208.
- ^ a b 聖母河畔の十六年 1926, p. 序8.
- ^ 聖母河畔の十六年 1926, p. 3.
- ^ 富士を拓く 1994, pp. 35–36.
- ^ 富士を拓く 1994, pp. 38–44.
- ^ 聖母河畔の十六年 1926, p. 序9.
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