ボリビアへの移動と死去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/18 10:01 UTC 版)
1917年(大正6年)、堀内は従者1名と伴にボリビアへ入った。同年の春頃にラパス県のサンホセという集落に落ち着き、ここの有力者の娘と結婚した。この地に新たな日本人入植地を開き、アマゾンで苦境にあった日本人移民を受け入れる目論見であった。しかし、開墾作業のときに肋膜を痛めた。その後、肋膜炎を発症してこれが元で死亡した。 訃報は、ペルーに滞在していた堀内伝重の従兄弟から、堀内良平に伝えられた。1918年(大正8年)1月18日のことであった。
※この「ボリビアへの移動と死去」の解説は、「堀内伝重」の解説の一部です。
「ボリビアへの移動と死去」を含む「堀内伝重」の記事については、「堀内伝重」の概要を参照ください。
- ボリビアへの移動と死去のページへのリンク