ボリビア人との不和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 13:25 UTC 版)
「オキナワ移住地」の記事における「ボリビア人との不和」の解説
715haを所有している大規模農園の経営者となった移住者は、以下のような話をした。彼は、収穫、除草、トラクターの運転手などを含め常時10人程度のボリビア人を使用していた。 以前に沖縄のアメリカーが沖縄人(ウチナンチュー)を使っていたように、顎でこき使っていますよ — オキナワ移住地で、ある大規模農園を経営している入植者、ボリビア移民聞書 (1986, pp. 31) ボリビアの日系移住地で聞き取り調査を行った石田甚太郎は「事前調査も不満足なまま異国に送り出された移民は、まさにジャングルに棄てられた棄民だった。だが、日本の経済復興にともない、日本政府の財政援助が増加し個人的な努力ともあいまって、弱者を切り捨て、いまや移民の主流は企業家であり資本家になった」とした。その上で「企業家になった移民たちには、新たな試練が近づいているような気がした。ボリビア人労働者を使用しないでは成立しない企業にもかかわらず、賃金問題や労働条件(住居、衛生施設、有害な農薬の散布)などを見れば、彼らは農奴待遇であった」と指摘した。石田は更に「ボリビア人の農場主はもっとあくどいという弁解も耳にしたが、それが免罪符になるだろうか」と疑問を呈した。 2004年に行われた入植50周年式典で大統領が述べた祝辞について、サンタ・クルス県の新聞「エル・デベール(英語版)」は、批判的な記事を掲載した。大統領が「(オキナワ移住地を)国全体が追求すべきお手本」としたことについて、「(大統領のコメントは)見当はずれ。日本人移住地は、日本やボリビア政府から特別な援助を受けているから、成功して当然だ」という地元のボリビア人の農業代表の意見を掲載した。また「入植者たちはスペイン語もわからないまま、大統領の言葉に拍手していた」と書いた。 石田甚太郎は、オキナワ移住地でボリビア人と日系移民の間にある不和が子供にも影響を与えているという話を移住地の学校教師から聞いていた。例えば何か物が紛失したとき、日系移民の子供が、最初からボリビア人の子供を犯人扱いする傾向があるとした。また、日系の子供がボリビア人に対して「土人」と差別的な呼び方をしているのを目撃したとも述べている。
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