ボリビアの政治状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 18:45 UTC 版)
「コチャバンバ水紛争」の記事における「ボリビアの政治状況」の解説
1985年、4回目のボリビア大統領の座についたビクトル・パス・エステンソロには、国内経済の抜本的な立て直しが求められていた。第1に、ボリビアはハイパーインフレーションによる深刻な経済危機に見舞われていた。第2に、かつてボリビア経済を牽引していた錫産業の急速な衰退により国営による鉱山運営は多額の赤字を生み出す存在になっていた。 ビクトル・パス・エステンソロの政権は、ジェフリー・サックスなどの北米の経済学者の助言を受け入れ、デノミネーションを実施、為替相場の自由変動制への移行、緊縮財政、公務員給与および実質賃金の削減、外国借款の返済の一時凍結などが実施された。後に「ボリビア・モデル」と呼ばれる経済政策で、危機的な状況を脱することに成功した。 1993年の大統領選挙で、ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサーダが当選し、民族革命運動党(MNR)が政権復帰を果たした。サンチェス・デ・ロサーダは、パス・エステンソロの経済政策を引き継ぎ、数多くの国営企業の民営化を行った。 民営化された国営企業は、ボリビア石油公社、ボリビア電力公社、ボリビア国鉄、ボリビア電信電話公社、LAB航空などであった。多くは国営企業を株式化し50%をそのまま政府が保有し、残り50%を民間企業グループに売却して経営を企業グループに委ねるという方法であった。 1997年のウゴ・バンセル・スアレスが大統領に指名された。ウゴ・バンセル政権は、新自由主義政策を踏襲し、汚職撲滅、不法コカ栽培の撲滅、7%経済成長などの5カ年計画を掲げた。しかし、1999年のブラジル金融危機など近隣諸国の経済低迷の影響を受け、金融危機にも直面した。
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