ボリビアにおける戦前移民の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 13:25 UTC 版)
「オキナワ移住地」の記事における「ボリビアにおける戦前移民の状況」の解説
第二次世界大戦以前、ボリビアへの最初の日本人移民は、1899年である。1899年にペルーへ入植した契約移民の中で、91名がチチカカ湖からソラタを経由してボリビアの低地アマゾンへと入った。1907年、第4次移民団でペルーに移民し、その後、沖縄出身者を束ねてボリビアに再入植した八木宣貞などが、記録に残る最初の沖縄出身のボリビア移住者として知られている。 アマゾン地域でのゴム景気が過ぎ去ると、ボリビアの日系人らはリベラルタやその近郊に定住し、日系人社会を形成していった。第二次世界大戦以前にリベラルタに定住していた日系人は約450名で、そのうち沖縄出身者は約100名であった。 1945年、太平洋戦争終結後、戦前に沖縄からボリビアに移民していた者たちは、故郷であり、地上戦が行われた沖縄の困窮を憂いた。1948年8月にラパスの沖縄県人会は「ラパス市沖縄救援会」を発足、また11月にはリベラルタで「リベラルタ市沖縄戦災救援会」を発足させた。これらの団体は募金活動を行い、救護品や学用品を沖縄に送った翌1949年、リベラルタの沖縄県人会で沖縄県民のボリビア移住の受け入れが提案され、ボリビア全土に散らばる沖縄県出身者も入植させて「沖縄村」の建設を決議した。 1950年、県人会は調査団をサンタ・クルス県に派遣し、入植先の選定を本格化させた。1951年、後に「うるま移住地」となる入植候補地を見つけた。また同年、移民を受け入れるための「うるま農産業組合」を設立した。この時点で、移住計画案は、サンタ・クルス県知事の認可を受けており、認可書は琉球政府とアメリカ政府に送付された。
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