うるま移住地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 13:25 UTC 版)
「うるま病」も参照 「うるま」とは、琉球の古名である(広辞苑 第六版 岩波書店より)。 第1次移民団が到着したとき、5haほどの森林が伐採され、その土地に丸太小屋が建設中という状態であった。10mほどの井戸が1基掘られていたが、出てくる水は塩水であった。食料米は十分であった。しかし、野菜類が不足し、肉類も冷蔵庫がなく保存ができず、日々の栄養はバランスを欠いていた。さらに、1954年は、大干ばつで入植から3ヶ月間余り、ほとんど雨が降らなかった。 大変な所に来てしまった。自分で選んだ道だから仕方がないがやるしかないか。 — 安仁屋晶 、安仁屋、コンドルの舞う国 (2008, pp. 60) 10月30日に入植以来初めての死者が出た。原因不明の熱病であった。11月に入ると同様の症状を訴える病人が続出し、移住者の多くがこの謎の熱病に襲われた。移住者はこの謎の病気を「うるま病」と呼んだ。また、測量の結果、うるま移住地は洪水地帯であることが明らかになり、気候も必ずしも農業に適していないことが判明した。移民たちは不安と混乱でパニック状態に陥った。 1955年2月12日、グランデ川が氾濫を起こした。この洪水で、一時、移住地の中心部以外は水没してしまう状況になった。またこの洪水により、野ねずみが大量に移住地中心部に進入した。同時に再び「うるま病」の患者が増えはじめた。 最終的に「うるま病」は、第1次と第2次移民団の約400人のうち、罹病者148人、死者15人を出すに至った。 「うるま病」について、原因不明とする資料が多いが、第1次移民団で入植し、後に医師となった神谷明は「うるま病の正体は『ハンタウイルス肺症候群』である」と推測している。
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